野中広務氏、自民復党を決定
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自民党は13日、2011年に離党した野中広務元幹事長(90)の復党を決定した。野中氏は自民党の有力支持団体である全国土地改良事業団体連合会(全土連)の前会長で、復党の背景には参院選での組織票積み上げへの期待がある。
自民党の党紀委員会は13日に野中氏の復党を了承し、山東昭子党紀委員長が党本部で谷垣禎一幹事長に報告した。谷垣氏は野中氏側に復党決定を伝えた。
山東氏は記者団に対し、参院選前の復党を認めた狙いについて野中氏が現在も京都府土地改良事業団体連合会の会長も務めていることに触れ、「いろいろ協力をいただきたい」と述べ、組織票のてこ入れに期待感を示した。
野中氏は03年に政界を引退。全土連の会長は続けていたが、旧民主党政権が削減を進める土地改良事業の予算確保を図るため、「政治的中立を明確にする」などと述べ、11年に離党していた。野中氏の復党は全土連会長を務める二階俊博総務会長や党京都府連が求めていた。【飼手勇介】
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長く政党政治が続いていると思っているけれど、実は日本の政党政治は、戦前のが破壊しつくされたので、戦後の歴史しかない。
戦後の多くの支持を得た自由民主党が長く与党であったのだが、思うに、政党というのは、最初に支持を得た人たちを決してないがしろにはしないものであろう。
その層のひとたちの票田に価値がある限りは見限ることはない。他にもっと強力な支持を得らえない限りは、決して見捨てることはない。
ここまではごく当たり前の流れだろうと思う。
問題はそうやって支持を与えた人たちも一年がたてば一歳の年を取り、二年すれば二歳の年を取るのである。
それが50年づづけば、50歳の年を取る。それでも多くの人の人が支持する限り、その人たちとともに歩もうとするのが政党政治というものだろう。
ここにおいて、自民党の主母体は老人である、という事が出来る。この人たちは、日本の復興から、高度成長、そしてバブル崩壊という興隆を支えてきた人たちである。
いまだに90歳の人を頼るのが自民党と呼ぶべきではない。彼らは最初から彼らとともに歩んだ。そして今も歩んでいる。老人に頼っているのではない。若いときから一緒にやっている間に、いつの間にか、時間が経過してしまった、というだけの話だろう。
もちろん、世代というものは受け継がれてゆく。自民党を支持しているのは老人だけではなく、そのあとに続く世代でも支持者の獲得には成功してきたのである。
当然であるが、投票率を見る限り、日本人の半分はすでに投票行動をしていない。つまり、奴隷階層である。残りの投票権を持つ人々によって、国幹は決定されているわけであるが、恐らく、この奴隷階層には若年層が多いだろう。
それがいまの日本の姿であって、それが政策に反映されるのは当然である。もちろん、一票に意味などないから、という主張は当然であるが、権利を行使したものだけが、意見を言えるわけである。
たった一表で我々は文句をいう権利を手にしているわけであって、選挙に行かないとはその権利も放棄しているに等しい。当然だが、基本的人権でさえ放棄したとみなされて同様である。
というような主張をする人はいないだろうと思うが、実際、票田にならないのは政治家からすれば雑草と同じことである。ただ、彼らがいつ権利を行使するかを恐れてはいる。
投票率が低いことでなんとか保てている状況において、もし投票率が上がればどのような結果が来るかなど、読める政党人などひとりもいないのである。
そういう意味では、投票しない人々は、民主主義の最後の虎の子であって、決戦兵器であって、もちろん、最終兵器かつ奥義なのである。
もちろん、ドラマにおいてそういうものが必要とされる場合は、すでに負け戦である。漫画のように最終兵器一発で勝敗が逆転するなどという都合のいいことは起きえないのである。不可能なのである。舛添ではないが、不可避なのである。
夢を見すぎという話だ。
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