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2016年04月30日14:22

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スペイン・ポルトガルの旅・第4部

昼食後、国境を通過してポルトガルに入る。セビーリャからポルトガルのエヴォラまでは345
kmの道のりである。ポルトガルは共和制の国で、面積は日本の4分の1、人口は1080万人。
首都はリスボン。ポルトガル人が92パーセントおり、宗教はカトリックが90パーセントの国。
国旗は、緑は誠実と希望。赤は革命を示している。黄色の球体は大航海時代の航海用具の一つである<天球儀>で、先人たちの新航路発見を表わしたものである。
紀元前2世紀にローマが進出、以後西ゴート、イスラム支配を受けた後に1143年ドーロ川流域
にポルトガル王国を建国した。
15世紀前半、エンリケ航海王子の采配で新航路の開拓に乗りだしバスコ・ダ・ガマやマゼランなどの航海により、スペインと共に一大海洋帝国を築き上げた。のち、内政の乱れから国力
は急速に衰退し、1910年に王制を廃止し共和制となった。

主産業は、農業と漁業でオリーブは8位、コルクは世界1位を誇る。欧州の西の果てという地にあり、目前は大西洋、背後は大国スペインと国境を接するので、内陸や内海への進出が不可能という立場に生まれた運命こそが、この国を未知の外洋へと向かわせ大航海時代の先陣を切る要因となった。一般に温厚で控え目、伝統を重んじる国民性でポルトガルの国技は闘牛だが、観衆の前では屠殺しない無血闘牛というスタイルにもそのような性格が表れている。
憂いをたたえた複雑な情感は「サウダーデ」と呼ばれ、哀調を帯びた民族音楽「ファド」(ポルトガル風演歌で運命の意)の旋律に投影されている。
日本とは1543年の種子島漂着以来の交流があり、「南蛮人」と呼ばれて西欧諸国で接触した国としては最古の歴史を誇る。

火縄銃を持ち込んだ最初の国で、パン・ボタン・オルガン・タバコ・金米糖・かるた・おんぶカッパ・じょうろ・コップ・ピンからキリまでといったように日本語として定着した語も少なくない。テンプラも元来は、ポルトガルの精進料理であったという。日本からポルトガルへ
直接伝わった言葉もある。それが「坊主」と「屏風」だそうだ。

漁業を伝統産業とし、魚介類を常食する習慣があり、大航海時代を支えた保存食「バカリャウ」(干しタラの塩漬け)の料理はレシピ豊富な国民食。イワシの炭火焼、イカやタコの料理など味付けもオリーブオイルと塩とニンニクを使ったシンプルな調味で、日本人には馴染みやすい食文化がみられる。
ポルトガルの建築アートといえば、「アズレージョ」だ。ポルトガルの街も歩けばどこにでも見られる装飾タイルだ。内壁・外壁を問わず敷き詰められる彩色タイルで、装飾用であると同時に室温管理の機能も持つという。

世界遺産エヴォラは日本の天正遺欧少年使節団も訪ねた古きよき学芸の都である。
ディアナ神殿は2〜3世紀ローマ人による建造で、イベリア半島に残るローマ遺跡のなかでは
保存状態がよいとされている。その後、約130km走り、リスボンに到着した。
リスボンのホテル「ビップ・グランド・リスボア」で3連泊となった。

4/23土曜日、ホテルを出発。北へ約120kmアルコバサに向かう。
世界遺産である「サンタマリア修道院」を訪れる。
アフォンソ1世が始祖となったポルトガル王国。しかし、ローマ教皇は新王国の建国を認めて
いなかった為、アフォンソ1世は1152年、教皇からの信頼が厚かったシトー会の修道士に
アルコバサの土地を譲渡する。翌年から修道院の建設が始まったという。
ここには、ペドロとイネスの<悲恋物語>がある。

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