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2016年04月29日21:48

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「レヴェナント 蘇えりし者」

なんだか痛そうだから、見るのはやめようと思っていたら、公開日に見た妹が「森林浴みたいで気持ちよかった」というので、先週の日曜日に見てきた。たしかに気持ちいい。これはスクリーンで見てよかった。ズタズタに傷ついた主人公が、厳しい大自然の中をひたすら歩き続け、荒行によって身も心も浄化されていく。復讐劇というよりは大峯千日回峰行。イクメン版「わたしに出会うまでの1600キロ」とも言えそう。

舞台は1823年。毛皮ハンターの一団のガイドをしている主人公は巨大な熊に襲われて瀕死の重傷にあえぐ中、目の前で愛する息子を殺され、生き埋めにされるが、執念で生き延び、息子の復讐を晴らしたい一念で雪の荒野を歩き出す。途中で馬もろとも谷底に落とされたり、極寒の河に飛び込んだり、いろいろあるが、もはやレオ様は不死身だとわかっているので、あまりハラハラすることもなく、ただただ雄大な自然に包まれていればよし。ルベツキの撮影技術は一段と冴え渡り、いったいどうやって撮ったのかわからない臨場感。夜明け前と日没のマジックアワーを狙って自然光のみで撮影された映像は、テレンス・マリックかと思うほどの神々しさだ。回想や夢のシーンにはタルコフスキーの「サクリファイス」や「ノスタルジア」へのオマージュというよりはパクリが頻繁に登場する。レオ様が死んだ馬のはらわたを抜き出してその中で一夜を過ごすシーンも、アイスランド映画「馬々と人間たち」からの借用。オリジナルを知らずに見ればオーッと感心せずにはいられないシーンだけに、ちょっと狡いんじゃないかと文句を言いたくなる。イニャリトウには映画作家としての誇りが足りないと思う。
とはいえ、本作には魅力もたくさんある。映像はもちろんだが、音がいい。水の音、風の音、それに先住民たちの言葉。本作にはポニー族とアリカラ族が登場する。私の耳では2つの言葉の識別ができないが、どちらの言葉も息を吐く音が多く、この雪と氷の風景に調和して耳に心地いい。それに、いつものこってりした熱演を削ぎ落としたディカプリオの真摯な表情。彼のような大スターを使って、これほど台詞の少ない、ストーリーの起伏もなく、ただただ映像と音だけでグイグイ引っぱる映画をつくったことがイニャリトウのお手柄かもしれない。レオ目当ての観客の半分はつまんないと思うかもしれないけれど、残りの半分は今まで見たことのない映画の魅力に開眼するのではないだろうか。
私の好きなトム・ハーディも、極悪人ではないけれど、小狡く、ふてぶてしい感じがとてもよく出ていた。

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