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2016年05月01日21:55

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右を見ても左を見ても、真っ暗闇じゃござんせんか


●ちょっと左翼的な言い方をすれば、日本はナチスがおこなったホロコーストに無罪ではない。日本もある意味では共犯者だったのであり、これが分かるかどうかに国際感覚の試金石の一つがある。
●ところで、今は何をやっても当面の場繋ぎの域を出ないのは、グローバリズムに対応した原理論が欠落しているからだ。だから情勢論や状況論ばかりだが、それは右の保守や左の革新という現実肯定派にはお誂え向きのことであり、現実変革を志向する左翼や右翼にはお先真っ暗であり、原理論なき状況論は必ず負ける。
●簡単にいえば、左翼は、反スターリン主義も含めてソ連崩壊後の革命理論が無く、右翼は昭和天皇の存在を前提とした昭和維新以後の展望が皆無だ。だから過去の原理論を摘み食いして状況論や個別論等をくっつけるのだが、所詮、その場凌ぎでしかない。
●注意すべきは、現実の変革を志向する左翼、極左は、一見、仲間のような左の革新派に、また現実変革を志向する右翼、極右は、やはり仲間のような右の保守派に、妙な錯覚や事実誤認で味方や同士と思わないことだ。彼らこそ、最も身近にいる、そして仲間面をした腐敗の膿の元でもある。
●現実には圧倒的多数は、左の革新や右の保守に追随するような、本質的には現状肯定のガス抜き的な改革や、やはりガス抜き的な反改革のデモや運動、活動しか出来ない。それが市民運動というものだからだ。それはそれでいいとして、それとは別に原理論への志向を持つことだ。
●別に左右の変革派が合流する必要はない。それぞれ固有の任務があるからだが、「別個に進んで共に撃つ」とすれば、左翼的なものを否定する右翼や、右翼的なものを否定する左翼には、近代ならいざしらず、グローバリズムにおいては展望は持ち得ないだろう。
●左翼の変革派に必要なものは、コミンテルン以降の思想の根拠だ。それを確立出来なかったためトロツキズムやその革命的後継は文学政治に終始し、右翼の場合は昭和天皇以降の天皇論の根拠だ。要するに、現実を変革する国家創造の史的根拠であるといえる。
●左翼の理論は、日本書紀が伝える神武建国神話に始まる歴史の批判ではなく、歴史のオルグを志向すべきであり、右翼の理論は、日本書紀が伝える神武建国神話に対する伝統的な国体論的解釈を否定し、神武建国として形象化されている事態の政治的現実を把握することだといえよう。
●そのためには、後に神武帝とされる人物、あるいは応神帝でも誰でも構わないが、その実在モデルとされる人物は、「良家の御曹司」なのか、あるいは「無名のカリスマ」なのかという認識が不可欠となろう。なぜ、天皇や皇族には、姓も苗字も無いのかということも考えてみる必要があろう。
●無思想の無知な馬鹿は明治天皇は大室某だと言って批判したつもりだが、そうだとすれば、だからこそ明治帝はカリスマ性を持ちえたのではないか。そして神武帝がカリスマであったなら、彼がいわば、初代の大室某であり、そして無名の誰かがカリスマとなるのが天孫降臨の現実なのだ。
●問題は、何を、どのように肯定したり否定するのではない。そうではなく、どのような理論で、何を肯定したり否定するかなのだ。
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