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2016年04月02日17:16

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言説 近代化 主体

小さい頃、病気になった。
中学には病気で行けなかった。
高校にも行けず、けれども4浪で大学に入った。そこで初めてであった。

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いつの頃からか、19歳くらいか。記憶を失っていた頃。
そのころから、無意識に苦しみを感じていたのかもしれない。

苦しい、ただそれだけだった。私には何も分からなかったし、気付くこともできなかった。

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なぜ、人を殺してはいけないのか。
今でも、主題として論じられるテーマである。
倫理・道徳と哲学との戦いである。

古くから、倫理道徳に関するテーマは存在している。
旧約聖書以前から存在していて、新約以降の原罪に関わるのもこの問題から来ている。

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現代の問題も多数ある。

それが、言説である。
言説が、私を苦しめていたことだと気づいたのは大学を卒業した頃であった。

言説とは、倫理道徳が土台だとすると、あまねく日常生活に浸透している常識のようなものである。
言説自体がテーマではないので、常識のように、疑われることもなく、自分の内面にまで浸透しているもの、と理解してかまわない。

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主体、自我に関わることが議論され始めたのは割と新しい。
1500年代以降、ジョン・ロックの所有権、デカルトの自我論あたりから、議論され確立されていったものである。
ここから、人間とはなんなのか、というテーマが西洋哲学として始まり、時代を経て、心理学に派生し、精神医学にも派生している。
この派生、と言うのはとても重要である。根元は同じ。ただ、目的が違うから、異なった方向に議論が進んだ結果、心理学や精神医学が徐々に確立されていった。

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日本は明治維新以後、近代化が急務となった。その先鋒が法学である。諸外国と条約を結ぶ時に、平等な条文を立案する必要があった。
現在の東京大学は、法学・官僚養成・医学、その3つを目的として設立されたことを忘れてはならない。

しかし、学問が未発達だった日本は、急いで西洋の学問を輸入した。
法学・政治学・経済学・物理学・医学etc...これらを急いで輸入した。
当時、中国が列強4か国に植民地化されていたことを考えると、当然の行為だっただろう。
けれども、日本に輸入された学問は、分断されていた。俗にいうタコつぼ型学問と呼ばれる。
本来、西洋の学問史からみると、すべて派生された学問、つまり相互の繋がりを保った状態の学問であったが、日本では分断された状態だった。

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私が、医者をけ嫌いするのはこのためだ。
特に、精神医学に関して。
うつ病で病院を受診している私が言うのもなんだが、現代の日本の精神医学は間違っている。
心理学も同様のことが言える。
ジョン・ロックから出発した自己に関わる議論の素養を無視した、そういう体系になっている。

分断された学問の自認をもって、大学にて講義が行われているかはなはだ疑問である。

そもそも、すべての学問は派生している、と書いた。
派生しながら、相互に影響し合っている。

精神分析を標榜している人は、構造主義とはなんなのかをちゃんと理解しているのか。
ソシュールとレヴィーストロースに帰れ、と言いたい。

ソシュールは言語学者、レヴィーストロースは文化人類学者である。なにも関係ないようで、西洋では全ての学問に影響を与えている。この二人が作ったのが構造主義であり、精神医学もすでに取り込んでいる。しかし、精神には構造がある、と精神科医が言った所で、構造の意味を分かっているのか?建物の「構造」とは、わけが違う。

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個人的な嫌悪感もあるが、なぜ精神医学を引き合いに出したかと言うと、主体というテーマがあるからである。精神医学が言う主体とは、その人であり、その個人であり、その自我である。

自分をしっかり持て、
自分の意見をはっきり言いなさい、

このような言葉は、精神医学が作り上げた主体論から来ている。
そして主体からアイデンティティ、つまり自己同一性へと議論を進める。


そこで、私は彼らに言いたい。

主体論を論じている、あなたの背景にある言説を、彼らは理解しているのか、と!

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言説が、人の内面を規定する。
日本の精神科医はこの言葉を聞いてどう思うだろう。
私の推測では、分からない、としか彼らは答えられない。

あまりにも有名な社会学者ミシェル・フーコーの言説の内面化の理論である。
言説は、全てを包含する。倫理も道徳も精神医学も。包含するというか、非意識的に全てのものに内在している。

内在に気づかずに議論をすれば、それは小手先でしかない。

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そもそも、精神医学が唱える主体論と言うのは、ロックからくる所有権、そして民主主義を形成する為の基礎概念であったことを忘れてはならない。

主体論が、個人を個人として、そして個人が集団で行動する規範となる民主主義という政治的集合を作り上げた。
つまり、主体論は、民主主義を肯定するための、理由づけの為に生まれたことを忘れてはならない。同世代のホッブスなど、当時は民主か王政かの議論が盛んであった。

主体があるから、個人があるのではない。
主体が必要だから、個人が誕生したのだ。

政治的背景によって生み出された個人。
その個人を、日本の精神医学が、一体どのように分析できよう。

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言説とは、何なのか。

私は、精神科医から、うつ病、など「診断」を受けている。
インターネットで、うつ病などと検索すると五万と情報が出てくる。
どう治療するのか、どう向き合うのか、社会にどれだけの人がいるのかetc...
誰しもが、うつ病に関する、それなりの認識を持っている。これが言説だ。

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言説に支配されている状態では、人はかなりの制約を受ける。
私は、言説に支配された医者から、慢性疲労症候群とうつ病と診断、つまり同定された。
それに、気持ち悪いほどの違和感を感じずにはいられない。

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1500年代から続いた西洋学問。
明治維新後、近代化を急いだ日本。
そして、言説。

歴史は時間の流れだ。
言説は現在形だ。

時間の流れは、書物を読めば簡単に知ることはできる。
しかし、言説を知る為には、それなりの訓練が必要だ。

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私の妻は発達障害だ。
発達障害の本は出ている。かなり勉強になるが、鵜呑みにするつもりはない。

その本は、近代化の急務から輸入された医学からでしかなく、言説を知らない。
そして、医学の系譜学をしても辿り着くのは、フロイトかユングでしかない。
派生を無視している。

個の多様性を画一化しようとする運動、その運動も言説である。

言説から離れて、蛸壺学問を脱し、横のつながりを意識した時間的経過をよく考察する必要がある。

別に、精神医学の臨床家を一方的に非難するつもりはない。
彼らは、苦しんでいる人を一生懸命助けようとしている。
ただ、彼らの限界を知っておく必要が私にはあるということだけだ。

民主主義的思想が、精神医学の根底にある。
それをしるには、アンダーソンの議論が有用だろう。

だが、私の関心事は精神医学などではなく、

今、目の前に展開している病気を持った、
私と妻、それだけである。
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