mixiユーザー(id:3352548)

2016年03月01日03:56

233 view

服装をとやかく言うのは、身体の身体的特徴に難癖をつけているのではないだろうか?

先日の滋賀県でのLGBT当事者会。

トランスジェンダーのゲストスピーカーから、また、他の当事者の方々から、有意義なお話を頂戴しました。

北欧ではこどもの玩具に男の子向けのおもちゃと、女の子向けのおもちゃとを、あえて同時に与えるとか。保育園でも『アナと雪の女王』のドレスを男の子が着込んでもほめるエピソードが動画投稿サイトに載ったばかり。同時に行われた会のワークショップでも、服装・社会的性別と生物学的性別(=戸籍上の性別)の呪縛を指摘する意見が複数ありました。

探偵ナイトスクープで『セーラー服おじさん』が取り上げられましたが、私も「ちょいとやり過ぎ」という感触を禁じ得ませんでした。しかしコスプレとして『堂々と』活動する彼を、私は非難することはしないとハッキリと申し上げます。私が女物の服を着だした頃の私の姿は、確かに見苦しいものでしたから。

『女装』と言えば、私の出身校でもある京都コンピュータ学院での、当時の「恒例企画」でした。校舎の大階段を舞台に見立ててのショーでしたが、これはおフザケのショー。ある程度、崩した格好が票を集めたのを覚えています。その中に、カッチリと女物のドレスで出場した方がいて、後で「あんたのは女装じゃ無い。女そのものだ」という評価を受けたのを、ハッキリ今でも覚えています。その人は背格好が小さいことがコンプレックスになっていると後で明かしてくれましたが、出場者数確保のための女装とはいえ、「もうやらない」と言ったのが印象的でした。

第二次性徴を迎えたあとの男性と女性とで決定的に違うのは「骨つき(体格)」と「背丈」。異性装の出来の良さと身体つきとの相関があることを思うと、異性装を批難することはその人の身体的特徴を非難しているのに同じだと気が付いたのです。

日本は服装に関してはかなり寛容な国だと言われている向きもありますが、特にビジネスシーンやフォーマルなところでは嫌われることを思うと、私にはそう思えません。そんな感情が刷り込まれているのが「同性愛は『趣味』だと言い切る議員さん」の発言に現れているのかもしれません。

私も昨年、ある病院の保守エンジニア(補助業務)として障害者求人に応募したことがあります。結果はさんざん待たされた挙句、病院長名で不採用の通知でした。

私も『趣味で女の服装をしている』と人から思われていると悲しくなります。
胸の出ている私にとって、男物のスーツはラインが崩れてみっともないし、そもそも着たくないのです。

両親も『世間の見た目』の観点から女物の服を着るのには大反対。気持ち的には辛いものがあります。

ふと思ったこと……。

『服装をとやかく言うのは、身体の身体的特徴に難癖をつけているのではないだろうか?』ってね。

私がもし、注射で第二次性徴を起こさせなかったとしたら、どうだっただろうか? って思うと、少し怖いです。小学校の時の身長は、前から数えたら2〜3番目には居ましたからね。男の子として成熟したとしても、相当にコンプレックスがあったのではないかと。
2 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する