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2015年12月23日04:45

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憲政の常道とは?

おそらく、マイ日記では初めて取り上げる「日本史」の記事です
チラチラとは言った事がありますが自分の大学での専攻は「日本近現代史」でした!

教職も取り、「中・高校教師になりたい」と思っていたところ単位の取得の関係で
「教育実習」に行くことができずあきらめたという経歴です

MIXIの「日本史コミュ」に2つ参加しているんですが、
その一つで先日「憲政の常道」が話題になりひと悶着あったので今回記事にしました
さあ、みなさん懐かしい「日本史」のお勉強をしましょう(笑)!!

国会が開設されることで「自由民権運動」が花開きいろいろな政党が出来ました
政府は「超然主義」をとりいわゆる民党と対決姿勢を強めていた明治時代
そこから「護憲運動」で民党が力をつけてきた大正時代の末期の話です

当時の清浦内閣が「第二次護憲運動」によって倒れ
「護憲三派」の加藤高明内閣が誕生します!
ここから5.15で倒れる犬養内閣まで政党内閣がつづいたので
いわゆる「憲政の常道」と言います
「憲政の常道」とは何か?これはいろいろな解釈があるのですが一般的には
「政党の党首が総理となり組閣する」ということですね
今では当たり前だと思いますが明治のころはまだまだ「藩閥政治」だったんですね
その後の昭和初期には「軍閥内閣」が出来たため
歴史上この8年間が「憲政の常道」と呼ばれるわけです

内閣の順番としては
加藤→若槻→田中→浜口→若槻→犬養の順です
覚え方は頭文字をとって「かわったハワイ」でしたね(なつかしい受験時代 笑)
そして政党でいくと
憲政→憲政→政友会→民政→民政→政友会
となるわけです

事典の「憲政の常道」の説明では文章にしないといけないので
「天皇による内閣総理大臣は衆議院での第一党となった政党の党首を
内閣総理大臣とし組閣がなされるべきこと。
その内閣が下野した時は野党第一党の党首に下されるべきこと」
(出典ウィキ 一部抜粋)
となっていますが「下野した場合は野党第一党が政権をとる」というのは
確かに田中内閣と犬養内閣で実現していますが
それ以外は病気や死去などでの交代もありました


「憲政の常道」というのはあくまで慣例(?)であり文章があるのかも定かではありませんし
もちろん法律などはありません
戦後は政党内閣ばかりになりましたがしだいに連立政権という考え方が強くなりました
(ちなみに私の卒論のテーマは「連合政権時代の幕開け」で日本の連合政権時代を早々
予言しておりました・・・とさりげなく自慢 笑)
細川政権の時には第一党の自民党をすっとばし第5党の党首が首相になってしまいました(笑)

自民党の政権が続く場合は野党の解散総選挙の格好の材料として持ち出される
「憲政の常道」という言葉・・・ただの政治用語です(笑)

たしか石破大臣が総裁選(?)だったかで「憲政の常道に反する」とか使って
なつかしいと思ったのですが・・・
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