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2015年12月10日14:05

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誰にでも起きること

4歳と1歳を殺害 育児悩んだ母
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3753089

この手の話を聞くと、産褥精神障害かなと・・・。

統計によると、千人に数人なので、いつ誰が追い込まれるかわからないんだよね。
周囲が注意深く見れるといいけど、どうしても身内は症状を軽く見てしまう。

友人のブログより

『《 やってきた悪魔 》

私の育児生活も、3日目を向かえ、
3時間おきにミルクを欲しがって泣くので少し疲れてきた。
そして、ダンナが会社に行くと、娘と2人っきりになる。

新生児状態の娘を連れての外出は、なるべく控えなければならない。
そんな時、娘に悪魔が光臨した。
「ぎゃーぎゃーぎぃやああぁああー」
と泣き止まなくなってしまった。

「いったいどうしたんだ!!」
焦った私は、とりあえず、抱いてみる。
「ぎゃーぎゃー!!」
・・・・。泣き止まない。

ミルクかな?でも、ついさっき飲ませたのに・・。
「ゲップが苦しいのかな?」
ゲップをさせてみる。
「げふ」
小さなかわいいゲップがでた。

「ぎゃーぎゃー」
でも、まだ泣き止まない・・。
「何ぃ!!今度はなんだ、オムツか!いや、汚れてない・・。」
頭の中で、考えられるだけの世話をしてみたが、娘は泣き止まない。

「一体何が気に入らないと言うんだ。コイツは・・?」
私の中で、かわいい娘が悪魔に変貌していった。

あの手、この手を使ってるうちに、
次のミルクの時間になった。(結局3時間泣きっ放し)
ミルクを急いで、作る。「待っててねー。今作るからねー」

娘の小さな口に、哺乳瓶の乳首を吸わせた。
「ちゅーちゅー、ゴクゴク」
娘は満足そうにミルクを飲んでいる。

泣き疲れたのか、ミルクを飲み干すと寝てしまった。
「一体、何だったんだ・・・。」
私は、びくびくしながら、病気じゃありませんようにと願うしかなかった。

そして、20分後・・。
またまた、「ぎゃーぎゃー」 と、泣き出した。
 

《 悪魔との戦い 》

昼間は比較的大人しく3時間おきに泣く程度だったが
夜になると、狂ったように、娘は泣き続けた。

一旦寝ると、なかなか起きないダンナもさすがに
「明日、仕事なんだよ!!うるさいな!!」 と、キレた。

仕方なく、私は、泣き叫ぶ娘と共に、リビングへ移動した。
その夜から、ダンナと私は、別々の部屋で寝ることになった。

一体何が気に入らないのか、ひたすら泣き続けている。
その顔は、まるで怒ったように真っ赤で、抱っこしても、
「嫌だー、離してくれー」 とばかりに、手を突っ張る。
かといって下ろしても、泣き止まない・・・。

とりあえず、ミルクを飲んでいる時だけは、泣き止んでくれた。
ふと、「なにかあったら、TELでも下さいね」
と、NICUで、言われた事を思い出し、深夜に失礼とは知りつつも、
藁にもすがる思いで、NICUに、TELした。

「あの・・・。すいません、泣き止まないんですけど・・・。」
「ミルクは飲みますか?便は正常ですか?」
等々、病気かと思われる質問をされ、すべて正常だと分かると
「じゃ、心配ないです。頑張って下さい」
といわれ、TELを切られてしまった。

「こんなに、泣き続けてもいいのか・・?!」
そう言いたくなる位、娘は泣いていた。酷い時は、「ぎゃーーーーーー」
と泣き過ぎて、息を吸えず、顔が紫色の『チアノーゼ』状態になった。

そして、夜が明ける頃、悪魔は休息を取りはじめるのだった・・。
朝、落ち武者になった私はダンナを会社に送り出し、
家事を済ませ、育児経験者の友人達に、悪魔との戦い方の情報を収集した。

娘は毎日、飽きる事無く、よく泣いた。
かわいかった娘が悪魔に占領されたかのように泣く。
だんだん、顔が泣きすぎで、むくんで、宮沢前首相に似てきた。

そうなるとますます、かわい気がなくなり、段々、私はウツになっていった。
食欲もなくなり、箸を持つのも面倒になった。
おまけに、ミルクで育てているのをいい事に、毎晩お酒を飲んだ。

おかげで、産後、すぐもとの体重に戻り、
私の腹は、梅干しのような状態になった。(皮が余ってしまった)
ダンナは仕事で帰りが遅く、誰も手助けしてくれない。
気持ちはどんどん危ない方向に向かって走り出した。
 

《 殺人計画 》

毎日、ロクに寝ることもできず、食事さえ受け付けなくなり、
段々、娘がうっとおしくなった。

「コイツさえいなければ・・・・。」
どこかで、そんなささやきを聞いていた。

気分転換しようと、ベランダに出ると、
「手が滑って落とした事にしようかな・・・・。」
と思ってしまい、慌てて、部屋に戻った。

お風呂に入れているときも、
「このまま沈めてしまおうか・・・。」
と思い、慌てて、沐浴を済ませた。

そして、泣き叫ぶ娘を簡易ベッドに寝かせ、
「ごめんね。今タバコ吸ってるから・・・。」
と、言いつつ、台所でタバコを吸っていた。

もはや、可愛いとさえ、思えなくなり、私の精神は蝕まれていった。
1分でいいから、娘のそばから離れたかった。
それでも、仕事をしているダンナに育児を変わってくれとは言えなかった。

一晩でいい、ゆっくり眠りたかった。
しかし、娘は逆撫でするように、泣き続けた。

しかたなく毎日、
「今日まで生かしといてやる」
と、誘拐犯よろしく考えていた。
 

《 落ち武者の戦い 》

娘が我が家に戻って、1週間・・。
私は戦場で戦い敗れた落ち武者になっていた。

とどめを刺すかのように、義父の具合は悪くなり、見舞いのため、
仕方なく、誰かに娘を預けなければ、いけない事態になった。

そんなときに、私の母が退院してきた。
母は、術後とも思えないくらい元気になり、老化した頭で、
娘の世話を必死に覚えた。(頭はフル回転)

おかげで、義父の見舞いにもどうにか行けた。
そして、ダンナが、実家の仕事の都合で、1週間家をあける事になった。

私は、自分が怖くなり、友達のN子に泊まりに来てもらうことにした。
娘と2人で、一週間もいたら、殺してしまう自信があった。

何かを手伝ってもらいたいというより、
私の殺人計画実行を阻止してさえ、くれればよかった。

N子は、年が離れた弟がいるので、嫌な顔せずばっちりサポートしてくれた。
しかし、彼女の都合も3日が限界だった。

それで、仕方なく、親友KRの家に1泊させてもらった。
完全にノイローゼになっている私を見て、
普段は、毒舌のKRダンナすら、
料理を取り分けてくれたり、親切にしてくれた。

KRは20歳で子供を産んでいるので、私にとっては大先輩。
心強い味方だった。(ちなみにKRは2人子供がいる)

しかし・・・。
やっぱり娘は泣き止まない。
原因は見当たらない。
さすがの先輩ママKRもさじを投げた。

私を心配してKRは次の日仕事があるのに、一緒に戦ってくれた。
明け方、KRのダンナが起きてくると落ち武者になった私とKRがいた。

翌日からは、母が泊り込んでくれた。
育児経験者の母でさえ、
「本当に泣きやまん子やねえ・・・。」
と、愚痴をこぼした。

しかし、私の尋常じゃない様子をみて、
「一晩中、みててあげるから一日ゆっくり眠りなさい」
と、言ってくれた。

気がかりではあったが、好意に感謝して眠らせてもらった。
そして、翌朝、やはり落ち武者になった母が 「おはよう」 と挨拶した。


《 一ヶ月検診 》

娘の退院後、初めての検診に行った。
1ヶ月検診は、赤ちゃんだけではなく、母親の産後の経過もチェックする。
私は産婦人科で、娘が異常に泣き止まない事、

私が、かなり気分がウツになっている事、
食欲がない事などをすべて正直に告白した。

そして、娘の検査を色々したが、どこにも異常はなく、元気そのものだった。
草食動物Drは、
「赤ちゃんは泣くのが仕事ですからねぇ・・・。」
と、相変わらず、穏やかに言った。

「ここもか・・・。」 
やはり光明は見えず、がっくり肩を落とし
『異常なほど泣くんだよっ!!』 と、心の中で悪態をついた。

しかし帰ろうとすると、看護婦さんにつかまり、
「夜中泣かれるとつらいよねぇ・・。そんな時は、いつでもここにTELしてね。」
と、言われ、思わず、涙が出た。(その日の夜中TELしたのは言うまでもない)

母乳については、「マッサージしてあげるから、しばらく通ってみたら?」
と、言われ、気分転換がてら、通ってみた。
しかも、婦長じきじきにマッサージしてもらった。

噂では、おっぱいマッサージは痛いと聞いていたが、
婦長がうまいのか、とても気持ちよかった。(しかし、飲ませられるほどは出なかった)
おかげで、気分が少しだけ楽になった。
 

《 要注意人物 》

私は毎日の戦いでとても疲れていた。
私の様子を見かねた母は、こまめに我が家に通い
大切な孫に私が手を出さないよう見張っていた。

もはや娘を、可愛いなんてちっとも思えなくなっていた。
電動ラックがきてからは抱かなくていい分、楽にはなったが
かといって、泣かなくなった訳ではない。

毎日「ぎゃーぎゃー」 ラックの上で飽きもせず泣いていた。
そんな時ふと、母子手帳の裏に 「巡回育児相談申込書」 
というのを発見した。

「これだ!!」 私は早速、はがきで、巡回相談を申し込んだ。
すると、若い保健婦さんが我が家に訪れた。
「育児について、悩み事はありますか?」
その保健婦さんは、とても優しい方で、(YUさんというかたでした)

私の言葉の一つ一つを拾うかの様に、話を聞いたくれた。
私は、話している内に、涙かとまらなくなり、ついに
「子供が可愛いと思えない・・。」 と正直に言ってしまった。
「皆さん、そうおッしゃいますよ(笑)」

YUさんは、そんな私をとがめることなくただ、ただ、私の話を聞いてくれた。
「気がかりな事があったら、いつでもTELして下さいね。また、来ますから。」
そう言ってYUさんは帰っていった。

それ以来、こまめに、TELをくれたり、
「近くに来たから」 と、我が家に寄ってくれたり、
私の心のケアを本当に助けてくれた。(YUさん、感謝してます。)

今になってよく考えてみると、
あの時、私は 『幼児虐待』 の要注意人物として
保健所からマークされていた事に気が付いたのだった・・・。』

今では、この娘さん立派な腐女子の女子高生に成長しています。
母娘の言い争いは、漫才を見ているようです。
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