早島駅を線路沿いに、しばらく東に行くと、不老のみち広場というポケットパークがありますよ。
案内板によると、早島と箕島の境、前潟新田の東の端を四百間と言うそうで、これは、前潟新田の東の堤が4百間(約800m)あったことに由来していて、この広場はその中間点に位置し、正面の水路の東側が堤跡とされているんだって。
不老のみち案内図のパネルが設置されていますね。
「【不老のみち】 そのむかし、早島は「吉備の穴海」とよばれる海に浮かぶ、ひとつの島でした。その島は長い時の流れの中でいつしか陸となり、人々はさらに沖へ沖へと陸を広げていきました。
そして、江戸時代ここ早島は旗本戸川家が治めるところとなり、新たな大地には藺草(いぐさ)が植えられ、まちには四国への道が通りました。
聞こえてきませんか。干拓の槌音が、畳表を織る織機の音が。そして、由伽や金毘羅詣でに向かう旅人の声が。
不老の道は、その昔人々が歩いた道をたどりながら、早島の歴史や文化にふれていただく散策道です。
はるかな時をへだて、いにしえの人々の早島にかけた熱い想いを感じてみて下さい。」(案内板より)
畳表を織る音、行き交う旅人の声、干拓の槌の音、当時に思いをはせながら、案内文を読んでいると、後ろから、ゴトンゴトン、ゴー・・・。
おお・・「特急 しおかぜ」
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