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2015年11月06日18:27

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【212】 2015/11/6(金) 人生は一歩一歩」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16143 (写真入り記事)

昨日は、夕方に文章と写真を投稿し、投稿してから祈祷会に出かけました。

楽しかったですが、疲れて帰って来ました。

毎日感じることは、『人生とは一歩一歩だ』ということです。

教会防災ネットワークの会議が終わって、祈祷会に出発するまでの30分弱で写真を選び、文章をまとめて投稿しますので、やっつけに近いところはありましたが、投稿してからでかけて良かったと思います。帰りが遅くなり、しかも、疲れ切って帰ってきましたので、戻ってから文章を準備するのは体力的に無理だったと思います。

通常、1から写真を準備し、1から文章を準備したとしたら40分はかかります。しかし、時間は25分くらいしかありません。無理して準備をしたのは、神様に祈った結果、この細切れ時間で準備をしていくことが良いと感じたからです。

人生とは、『一寸先は光』なのか、『一寸先は闇』なのか、誰にもわかりません。

しかし、それを知っているお方がおられるます。神様です。

だから、神様に祈り、神様の導きを受けて歩むのです。

それは、さながら、車のナビゲーション・システムに導かれてはじめてドライブする道を運転しているようなものです。

助手席に座っている人と話に夢中になっていると、通り過ぎてしまうことがあります。

また、考え事をしていたりすると、やっぱり通り過ぎてしまうこともあります。

私は、5年間書けるのスケジュール帳を使っています。11月中は、ほとんどスケジュールが一杯になっていますし、来年の4月くらいまではどんどんスケジュールが入ってきています。

これはとても便利です。このスケジュール帳に書き込み、そのスケジュール帳を持ち歩いている限り、『すいません、忘れていました!』というようなことは起こり得ません。

しかし、人生とは、スケジュール通りに進まないことがあります。

5年前頃、人生の中でもっとも多忙な毎日を過ごしていました。まさに分刻みのスケジュールでした。今では考えられないくらいです。夜遅く寝て、朝早く起きて、毎日伝道活動をし、出前牧師に出張をし、インターネットのTV番組を放映し、同時に、教会の仕事をこなしていました。

無理が続き、ある日突然、喘息発作で入院を余儀なくされました。青天の霹靂でした。それぞれの先方に平謝りでした。幸い、みなさんが理解を示して下さったので、入院しながら治療に専念できましたが、自分の思い描いていた道が閉ざされた瞬間でもありました。

しかし、これは神様が強制的に私の人生に介入されて、ストップをかけられたと思っています。これから、人生をかけ、命をかけてやっていこうとした道が閉ざされ、奪い去られてしまったので、残念きわまりありませんでしたが、それで良かったと思います。

人生とは一歩一歩だということを病室の中で学びました。

一日の大半をベッドで寝ながら過ごし、同室の人たちのほとんどは肺がん患者でした。『僕はもう無理だと思う!』と言っていた人たちもいました。この人たちも、ある意味人生が大きく狂ってしまった人たちだと思います。

しかし、誰もジタバタしてはいませんでした。長い闘病生活の中でガンという病を受け入れ、向き合いながら生きていました。

私はとても慰められました。

また、私は肺がんが疑われたのでその病棟の病室に入れられましたが、私は、肺炎球菌による重度の気管支喘息の発作でしたので、時間はかかるにせよ、完治し、退院できます。『道が閉ざされた』と嘆いていては申し訳ないと感じました。

今日一日は、大会の教会訪問をする予定の日でした。

しかし、体が疲れているし、のどがれがまだ治らないし、仕事が山積みなので、チームリーダーに『休みます』と連絡を入れました。

これも、予定が狂ったことの一つです。

無理して教会訪問に出かけることもできましたが、体調が悪化したかも知れませんし、山積みの仕事が片付きませんでした。

聖書には、『神様のおことばは、つまずかないように道を照らしてくれる懐中電燈です。』(詩篇119:105)と書かれています。

神様の導きは、はるか遠い未来の目標を明らかにさせてくれることもありますが、通常、足元を照らす懐中電灯のようです。次の一歩二歩を照らして、ゆく道を導いて下さいます。

私たちは、人生のゴール設定をしたり、ビジョンを掲げ、目標を定めるだろうと思います。また、それに基づいて、計画を立て、スケジュールを組んでいくのではないかと思います。

しかし、それはあくまで予定であって、未定です。

神様が、懐中電灯のように私たちの足元を照らし、導かれたならば、直ちに、それに従える柔軟さを持っていることが大切です。

それは、感情に流されることとは違います。感情は揺れ動く芦のようです。神が導かれるなら、感情に舵を取らせないことも大切です。しかし、感情とは別に、神が導かれるのです。

『人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。』(箴言16:1〜3)

明日は、ゴスペルとタンバリンダンスの大会があり、こんなに声がかれているのに歌い、講演をします。

ここ2〜3週間、何度か病院に通い、抗生物質や去痰剤やトローチなどをもらって飲み続けています。

一週間前は賛美集会に参加しましたし、定期的に歌を歌ったり、祈祷会の進行をしたり、説教をしたり、声を出す機会があります。しかし、腹式呼吸を心がけ、喉をいたわって来ました。

私ができることはすべて行ってきました。あとは神様に委ねて、明日に備えたいと思います。

明日になったら、考えてもいなかったことが起こるかも知れません。悩んでも状況を変えられないなら取り越し苦労です。

みなさんにも、そんな状況があると思います。

ある人は、明日の予定が重荷で、苦しんでいる人もいるかも知れません。重荷でも、まずは『備えあれば憂いなし』です。最善の準備をして下さい。

しかし、『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。』(マタイ3:34)です。

明日になったら、腹が座って、嫌なことが嫌でなくなるかも知れません。

あるいは、急に中止になることもあります。

しかし、悩むことに変わりがないかも知れません。そうだとしたら、悩むのは明日になってからにして、今日は神の手に委ねて、今日の今に集中し、神を賛美し、楽しい心で過ごして下さい。

人生は一歩一歩です。次の一歩を神が導いて下さいます。

今日もお疲れ様でした。

いつも交わって下さりありがとうございます。感謝しています。

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