月の冴える夜です。
やまねこの生まれた日は、晴れてたのかな雨だったのかな。
どんな月だったんだろう?
そもそも夜に生まれたのか、昼だったのかも知りません。
そんなことを考えてたら、
やまねこを生んだ人は、もうこの世界にいないのだな、と、
ふっと思いました。
その人がいなくなって、初めての誕生日。
なんだか、遺伝子の連鎖の先頭に立ってしまったような、妙な気分になりました。
(片方はまだ生きていますが)
こういうときって、
「あけましておめでとう」と言ってはいけない、ということは知っています。
じゃ、それ以外のときはいいの?
言うのはいいの?それとも、言うのはだめだけど言われるのはいいの?
なんだかわからなくなってきた、
でも、どんな考え方があるとしたって、
やまねこはおめでとうと言ってくださるかたに「非常識」とか思いません。
ありがとう、と思うだけです。
じぶんは素直にそれでいいのだと思います。ありがとう。
やまねこのうちは、横浜といってもどの鉄道の駅からも遠い山の上にあるのですが、
いつも帰りは、行きとは違う登り坂の少ない駅から帰ってきます。
でも、今日は行きと同じ坂を登ってきました。
↑ここは、冬に何度かツイートに載せた「街灯あと野」
ちょうどシンクロする位置に月が出るなんて、初めて知りました。
もちろん写真は、うまい人のようには撮れないのだけれど。
去年一年は、ほんとにしんどい年で、
何度か、心が死んだと思いました。
「心だって、そんな簡単に死ぬものではないよ」とも思いますし、
実際にはいちど死んで生まれかわったのかもしれません。
いずれにしても、ひとりで乗り越えられたかどうかはわかりません。
支えられて、やまねこはまだ生きています。
また一年生き延びて、この日を迎えることができました。
あらためて、ありがとう。
昨日9月27日、
日吉NapでのLIVEも無事終了いたしました。
<うたった歌>
旅猫
Down to the Waterline
まいご(彼岸花)
21世紀のボニーとクライド
しずめのさくら
Dear Love
Not the Way to Follow
やまねこにしてめずらしく、横文字タイトル多かったですね(^^ゞ
聴いてくださったみなさん、ありがとうございました!
生とか死というのとは違うのかもしれませんが、
たくさんの歌い手さんが生まれて、
そして歌うのをやめていきます。
そんな中で、
歌や楽器が上手なわけではなく、
作詞や作曲のスキルが高いわけでもない、
どこから見ても落ちこぼれのやまねこが今でも歌っていられるのは、
なぜなのだろうと思うのです。
「そんな才能あるのにもったいない」と思う人たちが、たくさん歌うのをやめてしまったのに。
やまねこは死ぬまで歌っていられるのでしょうか。
それともどこかで歌うのをやめてしまうのでしょうか。
そんなこと、今はわかるわけないのですが、
とにかく次のLIVEのために練習を繰り返します。それしかできないもの。
(次は10月18日ね)
↑わかりづらいけど、毎朝のようにUPしている木のところから。
見えるかな?
なにかが生まれそうな夜。
もう少しだけ、旅を続けましょう。
きっとまた、お会いできますように。
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