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2015年09月14日02:23

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「積極的平和主義の旗」を取り戻そう!「戦争ー国と国との喧嘩ー相手国への自国の政治意志の貫徹」

 あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。 M・ガンジーの言葉




 日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数について、日本政府は230万人(1937〜45年)という数字を公式に採用している。

 その内、約六割の軍人・軍属が「餓死・病死」と云われる。「兵站・補給」が前線の拡大に追いついていなかったのだ。

 参謀将校も優秀ではあっただろうが「現実は想像を上回る」ことでしかなかったのだろう。またこの悲惨な戦争に、勝利も和議も終結も無かったのだ。

 あったのは「進め一億、火の玉だ・一億玉砕!」の亡国の論理とスローガンであった。この論理的転倒に気付くのに「沖縄戦・大空襲・二発の原爆」も在ったということを忘れてはならない。




 現在、日本人・全国民を指導すべき立場の政治家たちの態度は如何に愚かであるだろうか。これも「代議制の悪しき弊害」でもあるのだろう。およそ「安保法制ー積極的戦争主義」を審議し法制化し「国民全体に及ぼす」ことの意味を十分に認識しているのだろうか。「直接民主主義の可能性」を追求し法案を廃案に追い込むべきではないか。


 平和憲法を見よ!


 日本国憲法は「積極的平和主義」の精神に満ちている。しかしこれは「積極的戦争主義」とは相反するものであるので「改憲解釈」などということを総理大臣ともあろうものが平然と言う。先の70年談話を見ても「子孫たちに謝罪はさせない・アジアの解放戦」ということでしかない。
 
「人は言行一致ーおこない」を観る。いま進められる「安保法制ー積極的戦争主義」に談話など何の意味があるのだろう。「敗戦国の頸木」をぶらさげたまま「岸信介≠55年体制」のまま、「憲法」を蔑ろにしての米帝従属の政治の在り方。「弱肉強食ー我由しー獣たちの世の中」ー競争原理ー自然淘汰とし、再びの帝国主義化を志向する。そこに言われる「価値観の共有」とは、そのことそのままであるだろう。

 しかし今、「若者たち」が再びの参戦への道に違和感を覚え憲法学習を始めている。そこに見えてくるのは「全く違った日本の世」が見えてくるだろう。それは競争原理に対置されるべき「協調原理ー人権重視ー相互扶助」の在り方だ。それは相互の国の主体性なり民族自決を尊ぶものだ。



 武力の『武』の字は「二つの矛の交わりを止める」と書く。



 それが「一方に参加・加担する」法制審と成り果て「為政者のご都合主義ーアメリカ議会演説」ー国民との約束事など忘れて「総理ー大統領」の密約の基に国会審議が過ぎてゆく。


 ここに、やはり総理の眼に「庶国民」は無く、パワーエリートたちの「生命財産の安全」であるかのようだ。このまま政治が進んでゆくなら、日本は立派な「参戦国」になるだろう。


「人柱」の林立する前に法案成立を否定しなければ、戦後70年の「平和国家日本」のブランドは地に汚れてしまう。




 憲法は国家の独立にも欠かせない。「イスラム国」のように建国を口に戦いをしていても「対テロ戦争」などと言い「紛争」扱いされてしまって「帝国主義の野望」にさえ隠されてしまうのだ。

 世界の趨勢は「<白色>富裕国先進連合vs<赤色>後(興)進資本主義国連合」の対立構図・構造であり、ここに地球資源の争奪戦がある。「北が南を支配し、収奪する」ことが罷り通る。

 こんな「先進富裕国同盟」と共通の価値観などは戴けない。

 逆に「積極的平和主義ー日本国憲法」こそ、戦後70年の「鉄壁のシールド」であることに気付こうではないか。

 そして「自らの国の在り方・生活の在り方」を問う、

      
      本当の意味の「積極的平和主義の旗」を取り戻そう!





◆ http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3614292
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