長崎で被曝した語り部の女性が言ってたこと。
最近は小学校低学年に原爆の話をすると親から「子どもが怖がっているからやめてほしい」とクレームがくるそうです。
原爆の話が怖いなんて当然ですけどね。原爆や戦争が怖いのは誰もが知ってること。
子どもがおびえていたら、
「怖かったね。だから絶対に戦争を起こしちゃいけないんだよ」と、何故これくらいのことを言えないんだろう?
「はだしのゲン」を撤去する動きもそうだけど、
実際に起こったことをきちんと受け止めようとしないのは、犠牲者や今も苦しんでいる方たちの存在を無視しているみたい。
戦争っていろいろな意味で残酷だなと実感します。
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11日の北海道新聞「朝の食卓」より
「八月がくるたびに 」 金石 澄子
長崎に原爆が投下された日から始まる物語「八月がくるたびに」(おおえひで作)
初めて読んだ日から40年近くたっているのに、この時期になるとこの本を手に取った小学生のころの自分を思い出します。たぶん私が初めて戦争に出会った本だったと思います。
なぜ何十年たっても思い出すのか。ストレートなタイトルの影響もありますが、どこか遠くを見つめている表紙の少女、本を開くと、原爆や人間の命を想像してしまうような不明瞭な絵、そこに添えられている「だれが…どうして?」と繰り返されるつぶやき。
怖い…、でも読まずにいられない、そんな自分がいました。挿絵の作者は北海道出身のクマさんこと、篠原勝之さん。
ところが、その後に出版された本は、柔らかいタッチの絵に差し替えられているということをつい最近知りました。
中の文章は変わらないのに、かなり印象が違います。緊張しながらページをめくった…、そんな思いはどこにもありません。
この本に限ったことではなく、このごろオブラートに包んだような言い方や例え話で、大切なことを差し替えていく傾向があるような気がしてなりません。
子供にも大人にも容赦なかったはずの出来事。ならばしっかりとその時の感覚を薄めずに伝えるべきだと思います。
「だれが…どうして?」
みんながいつも考えられるように。
想像できるように。
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