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2015年08月11日23:20

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不思議

こんばんは。猫

 暑いですね。でも今日ぐらいから少しはましになったかな。それとも慣れただけか?

■長崎式典でも安保法案反対の声 支持率低下で総裁選への影響を指摘する海外報道も
(NewSphere - 08月11日 13:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=196&from=diary&id=3561042

 さて、本題です。

 日本は、最初の戦争による被爆国であり、二度とこのような惨禍を招きたくないのは、当然の国民感情かと思います。そこでです。何故、前の戦争で日本は、原爆投下を招いたのでしょうか?

 直接的な原因は、日本の科学技術が米国より劣っており、当時の日本では理論的には、理解していても核兵器の実戦配備が出来なかったこと、日本の防空体制ではB29を防げなかったことです。惨禍を拡大したのは、充分なシュエルターを整備出来なかったこと、加えて国民への周知が不足していたことでしょう。

 遠因は、戦争自体に参加したことですが、昭和16年の時点では、その当時、一番、核兵器の開発が進んでいた米独でも夢想状態であったことかから、このような事態を招くことは想定出来ないのはやむ得ないことかと思います。

 となると二度と同じ惨禍を招かないために必要なものは、憲法9条教徒が唱える呪文(前文等)ではなく、仮想敵国に日本に対する核兵器の使用を断念させる抑止力、つまり自力の核戦力か、同盟国の核の傘に頼る必要性がある訳です。後者の場合、同盟の一方通行は有り得ない(これは、個人間でも同じですよね。)ことから、お互い助け合う必要性がある訳です。

 また、外交努力に頼ると言っても、その外交力は、軍事力や経済力に裏付けされなければ負け犬の遠吠えに過ぎません。

 そう考えると安保法制こそが、核の惨禍を防ぐ有効な手法と思いますが、いかがでしょうか?にもかかわらず反対が多いのは、政府の説明不足か、某国会議員の指摘どおり日本国民がエゴの塊なのか、不思議なものです。

 戦争とは、命よりも大切なものがあると言って始め、命より大切なものはないと言って終わらすものと、あるアニメでも言っていましたが、要は、国民の生命財産を守るための最大公約数の手段として核武装も含め、あらゆる選択肢を排除するべきではないと思いますし、それ自体が抑止力になると思います。

 写真は、近所の植物園の写真です。この平和な日本が長続きしますように。指でOK 
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