「憲法は大事だが、今そこにある現実を見よ」
「法より現実の脅威を直視せよ」
「憲法守って国滅ぶ・・・」
即ち、「国を守る」という大枠の論理。
「国を守る」という中身が、現実論として有形のもの・・
即ち国土(領土)、国民生命、有形財産。
主にこれらを失っては元も子もない、という論理。
さてはて、もっともらしいこれらの文言、本質は何かについて、よく考えねばなるまい。
法案含めた今の方向性を一元的に受け入れようとする者は、
他方で無形なものが含まれているということに、案外目が向いていない。
無形とは、主権であり、人権であり、自由であり、民主主義であり、
その他多数の権利だ。
言わば、有形無形にかかわらず、全ての「財産」を守るということが、
「国を守る」ということである。
その全てを守らんとする物の太い根幹が、憲法であり立憲主義の体制である。
今の日本や日本人は、立場によらず、今の民主主義体制下にある
日本を維持することに反対の者はほぼいないといってもいいだろう。
とするならば、法を崩壊、もしくはそれを飛び越えた末の「守り」は、
本来守るとする無形の、しかも絶対的に死守すべく根幹にある民主主義、
立憲主義の体制を否定することとなるゆえに、日本を守るということとは
かけ離れることを意味する。
平たく言えば、少々の法体系や秩序を超えても国体を守る事が先決とするなら、
即ち民主主義や自由は犠牲にしてもよい、または、今の民主主義体制を否定し、
全体主義の国家を希望している・・ということになるのである。
これ即ち、敵視するとされる中国や北朝鮮のような国家を希望するということだ。
思想、意見、あらゆる権利・・。
これらを謳歌している中において、そのどれをも捨てる、ないしは今よりももっと
抑圧・抑制的な環境下でこれから生きるということを選択、決断するということである。
それらに抵抗をし、または異を唱え民主主義、立憲主義を守れとするのは、
これ即ち有形の国土や国民生命らを守るのと同義であり、
今の体制国家を死守するならば、極めて真っ当な行為、方向なのである。
ゆえに、こうした運動が起きる事こそ、現時点では健全性が保たてれいるということであり、
これを批判し抑圧するとするならば、真逆の国家、ないしはそれに準ずる
国家を熱望する者・・と解されることを胸に刻まねばならないのである。
安保、29都道府県で抗議行動
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3523642
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