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2015年07月17日17:58

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歩きたばこ>化学繊維のワンピースに穴をあけられたことがあるわ

男性の意識調査! 「歩きタバコ」って気になる? ⇒86.7%がYESと回答
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=60&from=diary&id=3521049

歩きながらおにぎり食べたのかな?
山下清
(おにぎりが貰えなかったらどうするのかを問われ)
おにぎりが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな
http://matome.naver.jp/odai/2133084324112429901


山下清
清は驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残している
旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだった。このエピソードから、清はサヴァン症候群であった可能性が高いといわれている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E6%B8%85

フォト


★直観像記憶

家族が語る山下清

◎「山下清」の性格◎

  「とにかく超・凡帳面な人」

  だれもが山下清の牲格をこう言います。

  たとえば、母が叔父の部屋を掃除するとき、人形などタンスの上の置物の位置を少しでもずらしてしまうと、かならず自分で決めた元の位置にもどすのです。
自分のものが同じ位置に置かれていないと、気持ちが落ち着かない。
気になって仕事もろくにできません。

  また、洗濯した叔父の衣服なども、タンスのなかに自分で納得した位置にきちんとしまわなければいけません。
この洗濯物を叔父の部屋に届けるのは私の役目でしたが、タンスの決まった位置に衣服を入れるとほっとしたような顔をするのです。

 自分の身の回りのものは、すべて自分の思い通りにしなければ気がすまない性格なのです。

  反対に、自分で決めたことが予定通りに進まないときは、機嫌がわるくなることがよくありました。
家にいるときは、一日の日課をきちんと決めます。起床・食事・おやつ・入浴・消灯などの時間を自分で決めて、それをきっちり守るのです。

          ○

  犬の散歩であっても、叔父の凡帳面なところはいかんなく発揮されました。散歩の時間は正確で、医者から三○分くらいがいいと聞くと、正確にそれを守りました。

 本当に正確なのです。一分や二分は前後するものの、三分以上はがまんできない、五分だとぜったいに許せなくなってしまうのです。
つまり散歩の時間は、かならず二九分から三一分のあいだだったのです。

  ときどき私もその散歩についていくと、ひどい目にあいます。たまたま二〇分ぐらいで散歩が終わってしまうと、家の前で時間が経過するのを待ち、三〇分になってから家のなかに入るのでした。

  「もう家に入ろうよ」と私が言うと、

  「まだまだ」と腕時計をにらみ、まるで我慢くらべのようで、通りすがる近所の人は不思議そ
うな顔をしていました。

         ○

  几帳面な性格である叔父は、もちろん食べ方にも性格が出ます。焼魚や煮魚を食べるときは、頭、骨、尻尾のみを残す芸術的な食べ方をしていたのです。
華麗なるハシさばきで、身をきれいにほぐし黙々と食べるのです。

  食べ終わって頭と骨と尻尾だけになった魚を「まるで猫が食べたようだ」と、一同感心していました。

         ○

 「山下清」の性格についての記述をまとめてみた。
 「山下清」は、昔は、「知的障害」と言われていたが、これらの行動の様子を見ると、現代だったら、自閉症か、広汎性発達障害、ということになるのではないだろうか。


◎「山下清」の集中力◎

叔父の遊びに共通しているのは、未知のものに対する好奇心が旺盛で、それに対する観察力が鋭いことです。私は、絵画に関することだけでなく、叔父との遊びを通じて何にでも興味を持てと教えられたような気がします。

          ○

  「ぼくは放浪しているとき 絵を描くために歩き回っているのではなく きれいな景色やめずらしい物を見るのが好きで歩いている 貼り絵は 帰ってからゆっくり思い出して描くことができた」

  と叔父は日記にも書いています。

          ○

  また、花や昆虫などを題材にするときも一〇分から二〇分くらいずっと観察し、そして一気に描いていきます。被写体を見ながらスケッチするのではなく、自分の脳裏にイメージを焼きつけ一気に描くという手法は変わりません。
好きなもの、自分が気に入ったものに対する入り込み方は異常ともいえるぐらいでした。

  私も一緒に観察することがありましたが、途中で飽きてしまいほかの遊びをはじめてしまいましたが、叔父の集中はそこなわれることなく延々とつづくのです。

  しかしその反面、作品制作については自分で決めた制作時間を忠実に守るのです。朝一〇時頃から作業に入り、一二時の昼食、三時の休憩をとり、夕方五時頃になるとぴたりと止めてしまいます。「ここは山場」だからといって遅くまで仕事をする ということはありませんでした。
とにかく、時間に正確で、その時間内での集中力が凄いのです。

          ○

 好奇心が旺盛で、好きな対象には、抜群の集中力を発揮する−−。

 これなどは、ADHDタイプの資質と見ることもできる。山下清の「放浪癖」も、飽きてしまうと、未知の楽しいことを求めて、施設を出てしまったのかもしれない。
 制作時間を決めて、それを頑なに守るのは、自閉症の特徴が出ていると思える。




◎「山下清」の記憶力◎

  叔父の貼り絵制作の特徴は、ほとんどスケッチをしないことです。旅先で見た風景を自分の脳裏に鮮明に焼きつけ、家に帰ってから自分の記憶によるイメージを思い起こすのです。

  そして、簡単な下書きをするのみで端から淡々と色紙を貼り合わせていきます。

  この驚異的な記憶力を実証するのが、貼り絵『トンネルのある風景』(昭和二四年)です。この作品は、放浪からもどって旅先で見た風物を思い出しながら制作したうちのひとつです。

  完成した当初は、この絵がどこなのか本人はさっぱり覚えていません。茨城県と福島県の境の「勿来の関」近くのトンネルを描いたものですが、とにかく本人には地名に関する記憶がないのです。たまたまこのへんの出身の人が作品をひと目見たとき、「ああ、あそこか」と迷わず場所を当てたのです。

  あとで 「勿来の関」近くのトンネルの写真を見ると、構図はもとより色合いまでぴたりと一致していたのです。

          ○

  昨今山下清に関する書籍が数多く出版されていますが、これはすべて叔父の「放浪日記」を参考に書かれたものです。この「放浪日記」は叔父の放浪時代の出来事を綴った日記(全三冊)なのですが、毎日書き綴ったのではなく、放浪先から八幡学園にもどった際に、まとめて書き込んだものでした。

  数カ月間、時には二〜三年間における放浪の旅の出来事をまるで昨日のように、 「いつ・どこで・誰が」まで驚異的な記憶力で書いていたのです。

         ○

 この抜群の記憶の力も、自閉症者によく見られる「直観像記憶」のように思われる。 「勿来(なこそ)の関」に象徴されるように、山下清は、「絵(視覚)」で、情報を記憶していたのだと思う。「二〜三年間における放浪の旅の出来事をまるで昨日のように」書くことができたのも、「映像」として思い返すことができたからだと思う。

         ○
 山下清は、頭の中に、イメージ(絵)が鮮明にあって、それを描いているのだと思う。だから下描きなしで、いきなり描けるのだ。

 僕の知っている生徒も、自閉タイプの子だが、イラストが好きで、いきなり描く子がいる。下描きもなく、いきなりの一回描きなのだが、それでバランスが取れている。

 皆さんで、やって見られるといいのだが、こんなことはまず百パーセントできない。
僕には、絶対できないのだが、絵の得意な自閉タイプの子には、いきなり描ける子は多いと思
う。

 岡南は『天才と発達障害』の中で、小さい頃、自分の頭の中に、「カエル」の絵があって、そ
れを手を通して「印刷」する感じで、いきなり描けたと言う。だから、「人に教えること」はで
きなかったそうだ。

 「人に教える」ためには、意識的な「言葉」に変換しなければならない。

 以上、これらの特徴(行動や才能の偏りや、「直観像記憶」)は、普通の知的な遅れのある子の才能と言うよりも、山下清の自閉的な資質を象徴していると言えるだろう。

 知的な遅れを伴う自閉症か、広汎性発達障害と言うべきか。

ニキ・リンコは、アスペルガーという診断だが、自分には、「ADHD」の面もあって、両方同時に出ている時は、困ると言う。じっとしておきたい自閉症と、動きたいADHDと。

 その時に、「リタリン」を飲むと、ADHDの部分が抑えられて、落ち着くと、どこかで書いていた。

 もちろん、「診断名」など、ここでは、どうでもいいことだ。

 「山下清」の実像に、迫りたいのだ。

          ○

  こうして日本中に起こった山下清ブームは、ジャーナリズム的には大成功といえるだろう。

  だが、式場(隆三郎)はそのことにどのような意義を見いだしていたのであろうか。いまや山下清を世に送り出した人として知られるほど、熱心に山下の世話を焼いた式場は、その代償としてますます美術の専門家からは疎んじられることになった。それを承知で山下清のプロモーションに力を尽くしたのはなぜだったのだろうか。

  ここでも、やはり式場には大衆の啓蒙という医師としての使命感が働いていた。

 山下清を紹介する文章で、式場は作品が「病的」ではないことを強調する。
あの精神病の発作に苦しみながら画作したゴッホの作品が実に健康なように、
精薄(知的障害のこと−−引用者)でありながらこのように明るく、健康なものをつくりだすところに清の希有な才能がある。
(『アウトサイダー・アート』 服部正)


         ○

式場隆三郎は、当時の「知的障害」=「病的」という偏見に、アンチを試みている。だが、現在から見れば、式場隆三郎の言い方にも不満が残る、と言う他はない。
 「障害」のある子が、「暗くて」「病的」で、そうでない子(健常児)が、「明るく」「健康」的であるなんて、まったく言えないことは、現代では、ハッキリしてしまった。

 自閉症の子も、知的な遅れのある子も、僕たちの心をハッとさせ、目から鱗が落ちるようなア
ートを、何度も見せてくれている。
以下略
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/utigawajihei460.html
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●知能指数70
日常生活のトラブルを1人で解決するのが困難

「東京・池袋で臨床心理士らが実施した調査で、路上生活者の34%が知能指数(IQ)70未満だったことが分かった。
調査グループによると、70未満は知的機能障害の疑いがあるとされるレベル。路上生活者への別の調査では、約6割がうつ病など精神疾患を抱えている疑いも判明している。
それによると、IQ40〜49=10人▽IQ50〜69=46人▽IQ70〜79=31人だった。

調査グループは「IQ70未満は統計上人口の2%台とみられることからすると、10倍以上の高率」としている。先天的な障害か、精神疾患などによる知能低下なのかは、今回の調査では分からないという。
調査グループは、IQ40〜49は「家族や支援者と同居しなければ生活が難しい」
▽IQ50〜69は「金銭管理が難しく、行政や市民団体による社会的サポートが必要」
▽IQ70〜79は「日常生活のトラブルを1人で解決するのが困難」と分類している。 」
http://koushi.cocolog-nifty.com/koushi/2010/03/iq-e560.html
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IQ70未満は知的障害というのを知りました。20歳です。
すみません長文です。 最近、「発達障害があるんじゃないか」と言われて不安になったのと、その後発達障害について自分で調べた所、不注意型のADHDというとほぼ同じ症状があることがわかり思い切って病院に行きました。

IQテストをして、その結果IQ70以下とかなり低い数値でした…
自分は子供の頃から頭も要領も悪かったんですけど、予想外の数字にとてもショックです。

臨床心理士のレポートには「精神遅滞(軽度)」と書かれていて、診断する先生は「IQ100前後じゃないから」といった理由で、結果として発達障害ではありませんでした。

そして後でIQについて調べてみると、IQ70未満は知的障害になる。と書いてあるサイトをいくつか見ました。
でも先生は知的障害については一切触れないで「人より苦手が多いだけ」とだけ言って終了しました。
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az_s05さん
.
2010/12/123:27:15
. 知的障害は法律用語であり、医学上の診断では精神遅滞(或は精神発達遅滞)が使われます。なので「臨床心理士のレポートには「精神遅滞(軽度)」と書かれていて」というのは、軽度知的障害と言われているのと同じです。

生活に支障が生じているのであれば、療育手帳を取得したうえで障害者福祉を受けて、生活に受ける制限を軽減して下さい。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1051279915


知的障害
成年期(18歳 )-一般的な職場への就労はハードルが高く、障害者雇用での就労や就労移行支援事業所等での福祉的就労を行う事が多い。また、日常的でない判断(高額な契約など)が難しく、時に判断を誤ることや、悪意の接触にだまされることがある。

医学的な診断名には「英:mental retardation:MR」の訳として「精神遅滞(せいしんちたい)」、「精神発達遅滞(せいしんはったつちたい)」という用語が用いられる。これらは「知的障害」と同じ意味で使われる場合が多い

知能指数の分布から予測すると、IQ70以下の人は2.27%(認知症を含む)存在するはずなので、理論的には日本の知的障害者数は284万人になる。
しかし、公的に知的障害者とされている人は推計41万人であり、実際に存在するはずの障害者数と比較すると6分の1ないし7分の1であり、著しく少ない。
また、上記の41万人のうち84%が療育手帳所持者であるが、軽度・中度の手帳の所持者が55%、重度・最重度の手帳の所持者が45%であり、理論上の出現頻度は障害が軽いほど多いので、それを考慮すると、軽度・中度の手帳所持者は実際の軽度・中度の人数のうちのごく一部であると考えられる。 軽度では精神障害者や発達障害者と準じた福祉制度があり、そのため精神障害者保健福祉手帳も申請できやすい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E9%9A%9C%E5%AE%B3


●精神遅滞
精神(発達)遅滞とは、全体的な知能(知的能力)の発達が
遅れた状態にとどまるものをいいます。
また、そのために、社会生活上の困難があることとされています
軽度精神遅滞

知能指数(IQ)50から70を目安としています。
精神遅滞の75%程度をしめると推定されています。

具体的にいいますと、小学校の勉強には支障がありませんが、
中学校の勉強は、難しく、ついていくのが困難になります。
身の回りのことは、完全に自分でできます。

日本の教育は、偏差値重視になっています。
そのため、学校になじめなかったり、いじめの対象になったり、
反抗的になったりすることがあります。
http://park8.wakwak.com/~dendo/kokoro/kodomo/chitai/

少年A(神戸少年殺害事件)
IQは70

★直観像記憶
 「少年A」の母親の記述を読んでいると、「あー、ADD(ADHD)っぽいな」と思える記述がたくさんあった。

 いくつか引用してみる。

  Aは幼稚園の頃から、変に几帳面なところがあって、服はきっちり着て、夏でも襟のあるカッターシャツをつけ、ソックスをはかないと気が済まない子でした。

  幼稚園は上っ張りと帽子が制服でしたが、Aは下に着るシャツでも「襟のないのは嫌や」と言って、シャツのボタンを、首が絞まるいちばん上までピチッと自分でとめていました。

  また夏になって、私が「暑いやろ。ソックスやめたら。上はTシャツでいいんと違う」と言っても、「僕はこれがええんや」と、毎日ソックスをはき、カッターシャツを上っ張りの下に着ていました。

  ですから、あの子の服は、夏でも半袖に襟のあるシャツをいつも買って いました。
 今思うと、Aは繊細で食も細い子でしたが、妙なところでは大胆でした。

  また、勉強に興味もなく、成績は小学校、中学校を通じてあまりよくありませんでしたが、子供にしては、けっこう頭が回るところはありました。

 繊細でいながら大胆な性格−その性格が災いして、あんな酷い大それた事件を起こしてしまったのかもしれません。(なんてこった・爪ニウラン)

  弟たちと違い、ちょっと個性的な発想をする子供だったと思います。

◎これも、「少年A」が、ADD(ADHD)的な資質を持っていたとしたら、そんなに不思議な傾向ではない。むしろ、普通のADD(ADHD)タイプの傾向だと言える。

Aは小学校のときから成績は悪く、五段階の通知表は2と3ばかりでした。いつも、「やればできるのだから、早く気付きましょう。もう少し、積極的になりましょう」と先生に通知表に書かれていました。
  それでもAは、勉強が全滅というわけでもありませんでした。ビデオで洋画をよく見ている影響なのか、英語のヒアリングだけは唯一よかった。

 筆記テストは惨憺たるものでしたが。暗記力もよかったと思います。画数の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました。
読書感想文などでは、いろんな文章を覚えていて、それを引用しながら、スラスラと流れるように、読みやすい文章を書いていました。

  中学二年の冬でした。国語のテストの前日に私が、「一晩で、百人一首を八十首以上覚えたら、五千円の小遣いあげるわ」と冗談で言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともありました。

 「やればできるやんか、A」

  と褒めると、Aは素直に喜んで、ほんの一時だけやる気を出したことがあります。しかし、それも長続きしませんでした。

◎「少年A」は、視覚で字を覚えている。これも、「少年A」が、ADD(ADHD)タイプの子であるならば、普通に起こりえることだ。自閉症の人たちにも、視覚で覚える能力がとても高い人たちがいる。

 高山文彦はこう書いている。

  この類まれな能力は、神戸家庭裁判所の最終審判で示された精神鑑定のなかに見える「直感像素質者」という素質に大きく起因している。直感像素質とは、眼に映ったものを形から色、数まで克明にありのままに記憶してしまう能力のことで、その映像をいつでも好きなときに思いどおりに取り出し、ビデオテープのように再生することができるという能力である。

 天才に多いとされる。ダリの自伝を読めば、ダリもまた直感像素質者であったことがわかる。いくつもの棋譜を寸分たがわず記憶しているプロ棋士たちの優れた能力も、同じ一群に並んでいる。
少年Aは百人一首を意味としてではなく、映像として記憶していったのである。事実、精神鑑定のなかで、このときのことを問われた彼は「眼でおぼえた」とこたえている。
 (『「少年A」14歳の肖像』 高山文彦)


  「念のためMRIを撮ってください」 通常は問診と性格テストぐらいだそうですが、思い切ってお願いしました。

  その結果、脳に異常はありませんし、★IQも七〇で普通です、と言われました。IQは別にお願いしていなかったのですが、先生が性格テストの 一環として調べて、教えてくださったのです。

  しかし、IQも人並みにあり、Aは決してバカではないことも分かり、 脳の障害も私の取りこし苦労だったと知って、本当に嬉しく、ホッとしました。
(親を絶望させたくないからそりゃ普通って言ってあげるわ・・この母親の手記にはしかし中学になると「行ける高校があるか悩んでました」ってありました・・爪にウラン)
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/kenji9.html

山下清 手紙
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A少年 6年生作文
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