ジュスト右近の奇蹟ー軌跡 その意味する処は何か。
高槻城主・高山右近は少年期に自らキリスト教の洗礼を受けたという。
切っ掛けは奈良で琵琶法師だったイエズス会員ロレンソ了斎の話を聞いて感銘を受けたことかららしい。
時は「国盗り物語」の時代。琵琶法師ロレンソ了斎は諸行無常と共に「どのようにイエスを讃えた」のだろうか。
やはり「森の聖人」のような歌を詠ったのだろうか……。
時に彼は戦国時代の武将であり「悪党」共が腕を競う時代にあって、彼はどのような信仰の基に「武士であること」を続けたのだろうか。
このことに吊られて彼の軌跡を追い高槻の山の中まで足を延ばしたことをこの記事に思い出した。
探してみれば全国の到る処にキリスト教の信仰の跡が有り、とても廻り切れないことに気づいて頓挫した。
有名どころでは織田信長や豊臣秀吉にも仕えた彼は武勇の誉れも高い男だ。「正義の人」は伊達ではない。
しかし乍ら、ジュスト右近は人徳の人ー徳治主義で城内を治めたの声の有る一方、神道・仏教にとっては迫害者としてあったようでもある。
この落差はどう見れば良いのだろうか。ここが私に大きな疑問としてあった。およそキリスト教は「博愛と人道」を説くものだと若い私は考えていた。
同じくドン・フランシスコ大友宗麟も戦国時代を生き抜いた武勇の誉れ高い人である。
しかし乍ら忘れてはならない。「火薬一樽、女五十人…」として交換されていたことを。世は群雄割拠する戦国時代であり「火薬」は戦略的武器であった。
秀吉の伴天連追放令、続く家康のキリシタン国外追放令にて、彼はマニラに送られてしまう。
彼は老齢であった事も有り翌年に彼の地で死去してしまう。
しかしスペイン総督の庇護も有って彼の葬儀は現地の人々により聖アンナ教会で盛大に行われたという。
ならばそこに「からゆきさん」たちも大勢いたに違いない。彼女たちのマニラにいることは、決して望んだからではない。
遠く「異国に売られた女たち」は、後の世のこの奇跡を、呪いはしないだろうか。
◆高山右近「福者」認定の見通し
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3477325
ログインしてコメントを確認・投稿する