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2015年05月09日01:10

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寝ずの番にて

寝ずの番です。といっても、2時には父と代わりますが。


母の癌が分かってから、ずっとこんな日が来ることを想像していました。


母のいない日。
病院通いをしない日。
会社への不幸報告をしている自分。


嫌な想像を積んで、練習していたせいか、不思議と落ち着いています。


時々は泣いてしまうんですが。



亡くなる前日まではね。
結構元気だったんですよ。
亡くなる前日、お昼ご飯(毎日なにかしら差し入れしていたので)に持っていったさんまも食べて。蕨の漬物やミートソースもつついて。きのこグラタンパンを一口かじり、バナナケーキもつまんで。チマキも食べた。
ケーキは甘すぎて、秋刀魚は塩がかかってなくて、大根おろしを付けたのにお醤油を持って行き忘れてた。
で、次の日は鮎を差し入れようかなって考えてた。


GWは上の子が風邪でほとんど会えなかったけど
最終日は一緒に節句をお祝いした。
次男くんの初節句。
母は退院ではなく、外出で家に帰ってきていた。
手巻き寿司パーティにした。
母は父が選んだ《美味しいものだけ巻き》をたくさん食べた。
長男は大好きな海苔がたくさんあって超ご機嫌で、イヤイヤ期の割にお行儀がよかった。

その前は、お家でとびきりの肉を買ってきて焼いた。
叙々苑の映像を見て「高い肉が食べたい」って言うので、私にしては珍しく、目を瞑ってエイヤー!と最高級のお肉を買ってきた。少し気の早い母の日のつもりで。
でも、目を瞑り過ぎて、大量に買ってしまった。
母は美味しい美味しいって、父の分まで食べた。
牛肉が苦手な私でも、美味しい、と思えるくらいの美味しいお肉だった。


その前は母の病室に泊まった。
最大量の睡眠薬を使っても眠れなくなっていて、家族の力に頼ってはどうか、と言う話になったので。たまたまその話の時、私がそこにいて、では私がと言う流れになった。
日中、私は殆ど病室に入り浸っていたので、病院スタッフと馴染みになりスタッフも話しやすかったのかもしれない。
通常なら、あり得ないのかもしれないけれど、次男くんも一緒に泊まった。長男が義理実家にお願いした。
空気を読んだ次男は、泊まった日、いつも以上に泣かなかった。ニコニコ笑って、愛想を振りまいて、スヤスヤ寝ていた。
お泊まりは、結局二回やった。
あまり効果があったとは思えないけど。自己満足なのかもしれない。


病室にはこどもたちの写真と絵本がたくさんあった。
長男はいつもベッドの上に上がりこんで、「だるまさんの」を読んでもらっていた。自分でもページをまくって読んでいた。「バス」の本の「とらばす(サファリバスの虎柄バス」を見たい見たいとせがんだ。
絵本に飽きると、病室の戸棚の中に入って「かーれーぽ(かくれんぼ)」をして遊んだ。病室に戸棚がたくさんあって、しかもほとんどが空っぽなので、隠れるところはたくさんあった。
疲れたらソファベットで昼寝をした。
そしていつも、おやつにイチゴをたくさん食べた。足りなくてヨーグルトを食べたこともあった。
イヤイヤ期でご飯を食べる量が減ってからは、病室に来て、サンドイッチを食べることもあった。



桜の季節にはお花見に連れ出した。
ドライブで、近くの桜のトンネルに連れて行った。雨続きの中、その日だけは晴れていた。


母の入院していた病院は、私が出産した病院でもあった。
長男の出産の時、母は深夜に自分の病室を抜け出して、分娩室の前で待っていた。だから、母は生まれたての初孫を真っ先に見る事ができた。
翌日、母は、無断で病室を抜け出したことがバレて怒られていた。

次男を妊娠した時は、次男の顔を見たいと頑張ってくれた。
私の切迫入院中、自宅療養していた母は、通院のたびに私にご飯を差し入れてくれた。


私の育児と、母の闘病は時期が同じ。
だから、子供の写真に写っている母はすべて闘病中。
こどもの写真と母の写真と。子どもを撮りながら、母も撮りました。
フォト


この写真、大切にしていきます。
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