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2015年05月07日06:18

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遵法意識に欠ける改憲論者

前回の日記はたまたまみんなの日記のトップに上がったことで、普段の数倍の読者を得て、賛否両論盛り上がった。

私は軍事力への不信感が極めて強いから、自国の軍隊は国民の生命・財産を守ってくれるなどとウブなことは考えていない。歴史を見ても、現代世界を見渡しても、自国民に牙をむく軍隊はいくらでもある。日本でも相手を「ブサヨ」「マスゴミ」「在日」と認識すれば、暴力への心理的ハードルは随分下がるだろうと容易に想像できる。

だから妥協点として自衛隊・日米安保を受け入れた場合、それら軍事組織・体制が簡単には国民に手出しできないような制度的担保が存在することは極めて重要だ。そう考えると、9条というのは非武装丸腰国家よりも、現代日本のような重武装国家にこそ必要だとも言える。

コメント欄の中に、高校生が「9条があるのに自衛隊が存在することがそもそもおかしいのだから、解釈でどうにでもできる」と認識しているとの指摘があった。分からない理屈ではないが、この論法は一人殺すも二人殺すも一緒だという論理と同じで、ならず者の理屈である。

正しい議論の進め方としては、まず自衛隊が違憲という立場ならば、改憲が必要なのではなく、一旦自衛隊をなすくことが法的手続きとしては正しいと指摘することだ。その上で、自衛隊は必要だと考えるならば、改憲して、あらためて自衛隊を設立する。

今の日本の議論は自衛隊が違憲だから、憲法を変えるべきという、一段とばしの暴論がまかり通っている。もう人を殺しちゃったから、法改正して殺人を合法にしよう、という意見を聞けば無茶苦茶だと思うだろう。同じである。

こう認識させた上で、高校生に問うべきだ。こういう暴論が本当にまかり通っていると思うか、と。実は違うのである。一応、表向きには自衛隊はそもそも合憲なのである。それが政府の立場なのだ。そして最高裁はこの問題について見解を明らかにしていない。ともかく出発点が合憲であるならば上述の議論は意味を失うのである。

それでも高校生は思うかもしれない。自衛隊が合憲なんてどう考えてもおかしいと。ここから先は、各自が議論を熟成させるべき領域だが、少なくともこの辺までくれば「解釈でどうにでもできる」などというほど世の中安易にできていないことが分かるだろう。確かに解釈でどうにかしている部分はあるが、そのために割いているエネルギーの大きさは尋常ではないのだ。

だが高校生に「解釈でどうにでもできる」と思わせてしまっていることは重大な問題だ。私はその責任の多くの部分が今の安倍政権にあると見ている。なぜなら安倍政権の集団的自衛権行使容認は、まさしく「解釈でどうにでもできる」との姿勢そのものだからである。これまで内閣法制局が積み上げてきた精緻な議論を全てご破産にしたのだ。教育に悪いことおびただしい。

こういう政権のもとで「道徳」の重要性が説かれ、道徳が特別の教科になるというのだから、恐ろしい世の中になったものである。

最も論理的で、筋が通った立場は次の二つだ。「自衛隊は違憲。よってなくすべき。そして9条を守るべき」という古典的左翼の立場。もう一つは「自衛隊は違憲。でも必要。だから一旦自衛隊を解散させてから、憲法を改正し、あらためて自衛隊を作るべき」という、ほぼ誰も主張していない立場。

最高裁が自衛隊の合憲違憲について判断から逃げていることからも伺えるとおり、本当のところ自衛隊を合憲とすることには無理があるのである。だからこそ私にとって自衛隊・日米安保はあくまでも「妥協」なのである。

こう考えてくると、改憲論者というのは、ほとんど例外なくルール違反の上に論を立てているということが見えてくる。「違憲だから、ルールの方を変えて、合憲にしてしまえ」と考えるか、「合憲だ」と無理やりこじつけてから改憲するかの違いしかない。

そういう遵法意識に問題ある人々には尚更軍事力を持たせたくない。また、私が抱く自国民に牙をむくのではないかという不信も、あながち荒唐無稽な心配ではない。自分の都合に合わせて「解釈でどうにでもできる」と居直るような連中が、巨大な暴力装置を平和的に運用すると信じる奴はどうかしている。
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