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2015年03月18日23:37

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Osho

このところ、Oshoの言葉が心に響く♡♡



Prem Sheel
全面的な
リラクぜーションは究極的なものだ。
それは人がブッダになる瞬間だ。
それは悟り、光明、
キリスト意識の瞬間だ。

あなたはたったいま
全面的に
リラックスすることができない。
奥深い中心では
いまだに緊張が続いている。

だが、
くつろぐことを始めなさい。
周辺部から始めなさい......
私たちはそこにいるし、
ものごとは
自分がいるところからしか
始めることができない。
自分の存在の周辺を
リラックスさせなさい

肉体をくつろがせ、
振舞いをくつろいだものにし、
行為をくつろいだものにする。
くつろいだ歩き方をし、
くつろいだ食べ方をし、
くつろいだ話し方、
聞き方をしなさい。

どんなプロセスも
もっとのんびりとしたものにしなさい。
急いだり、焦ったりしないことだ。

まるで永遠の時間が
あるかのように振る舞いなさい
.......じっさい、
永遠の時間があるのだから。
ものごとに
始めと終わりがあるのだとしたら、
私たちはここに最初からいるし、
いちばん最後まで
ここにいることだろう。
だが、
実際には
始めもなければ
終わりもない。
私たちはいつでも
ここにいたし、
いつまでも
ここにいつづけることだろう。
形は変わりつづけるが、
本質は変わらない。
衣装は変わっていくが、
魂は変わることがない。

緊張とは
性急さ、恐れ、疑いだ。
緊張とは
自分を守ろうとする、
安全でいようとする、
安心していようとする
絶えざる努力だ。
緊張とは
明日のために、
あるいは来世のために
いま準備をすることだ

あなたは明日を恐れているので
現実に直面することができず、
だから準備をする。
緊張とは、
ほんとうに生きることなく
その傍らを通り過ぎてしまった
過去のことだ。
そのわだかまりが残っていて、
いまに持ち越されて、
自分にまとわりついている。

生について
とても基本的なことを
覚えておくといい
生きなかった経験は
自分にまとわりついて、
いつまでもそこに残っている。
「私を終わらせてくれ! 
 私を生きてくれ! 
 私を完了させてくれ!」
と。
どんな経験にも
最後まで至ろうとする、
完了しようとする傾向が
必ず含まれている。
いったん完了すると、
それは消えうせてしまう。

まだ終わっていないと、
そこにとどまって、
悩みの種となり、
あとをつけまわし、
あなたの注意を引こうとする。

それは言う、
「僕をどうしてくれるんだい? 
 まだ完了していないんだよ
 最後までやりとげてくれ!」

すべての過去が
宙ぶらりんの状態で
まとわりついている
なぜなら、
あなたは本気で生きていなかったし、
いつも逃げてばかりいて、
適当に、
生ぬるく、
部分的にしか
生きてこなかったからだ。
そこには
強烈さや情熱がなかった。
あなたは夢遊病者のように、
まるで夢のなかのように
振る舞っていた。
だから
その過去がまとわりついて、
一方では未来が
恐れをつくりだしている。
そしてこの過去と未来が
あなたの現在を、
唯一の現実を
押しつぶしてしまう。

あなたは周辺から
くつろいでいかなければならない。
くつろぎの第一歩は
肉体から始まる。

いつでも思い出したら
肉体に目を向けて、
例えば首や、
頭や、脚などに
緊張がないかどうかを
確かめてみるといい。
もし緊張があったら、
そこを意識的に
リラッスさせなさい。
肉体のその部分に
意識を持っていって、
やさしくこう言い聞かせなさい。
「楽にしろよ!」と。

すると驚いたことに、
注意を向けた肉体の部分は、
ちゃんと言うことを聞くし、
素直にそれに従ってくれる
自分の肉体なのだから! 
目を閉じて、
足の先から頭のてっぺんまで
体のなかのどこかに
緊張がないか
探ってみるといい。

緊張を見つけたら、
まるで友人に向かって
話しかけるように、
その部分に話しかけてみなさい。
自分と肉体のあいだに
対話をつくりだしなさい。
それに
リラックスするように言いなさい。
「何も恐れることはない。
 私がここで見守っているんだから、
 リラックスしてもいいんだよ」
と言い聞かせる。
だんだんと
そのコツがわかってくるだろう。
すると肉体は
リラックスするようになる。

Osho - The Dhammapada:The Way of the Buddha
タイムラインの写真 · 2014年7月3日 ·

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