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2015年02月01日14:49

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発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の小学校


発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の小学校
ダイヤモンド・オンライン 1月29日(木)8時0分配信

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発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の小学校
大空小学校に学ぶ児童と教師 (c)関西テレビ放送
 「不登校ゼロ」の公立小学校の映画ができたと聞いて、試写を観に行った。

 舞台は大阪市住吉区にある大空小学校だ。

【詳細画像または表】

 隣の小学校の児童数が増えすぎたことをきっかけに、2006年4月に開校した。

 全校児童は約220人。発達障害のある子や、自分の気持ちを上手くコントロールできない子などの特別支援の対象は30人を超える。それでも、すべての子どもたちが同じ教室で学ぶ。

 教職員は、クラスや担当の垣根を越えて、みんなで子どもたちを見守る。地域のボランティアや保護者も、サポーターとして子どもたちを支える。

 校舎に貼ってあるのは、「みんながつくる、みんなの学校、大空小」。開校以来、木村泰子校長を中心に、みんなが一緒になって、誰もが通い続けることのできる学校を作り上げてきた。

 そんな“誰にとっても居場所のある学校”づくりの取り組みを取り上げた関西テレビのドキュメント『みんなの学校』は評判を呼び、2013年度に様々な賞を受賞。そのドキュメンタリーを拡大する形で製作したのが、今回公開される映画『みんなの学校』だ。

● みんなの学校、唯一のルールは 「自分がされていやなことはしない」

 監督は、番組でディレクターを務めた関西テレビ報道局報道番組部の真鍋俊永さん。実は、同校の取材を始めたのは、職場の同僚で妻でもある迫川緑さんで、真鍋さんは引き継ぐ形で、本格的な長期取材を始めたという。

 「(彼女は)元々、障害者の方々と関わる機会が多く、学校で障害を持った子がどのように過ごしているのかを何度か取材していました。その中で、大阪市内にこんな学校があるよと教えてもらったのが大空小との出会いのきっかけです」

 10分ほどのニュース内での特集にした後、迫川さんは、子どもたちの自然で生き生きとした表情を引き続き取材したいと交渉。同じ部署にいた夫の真鍋さんが後を継いで、2012年4月から翌年3月まで、取材を続けたという。


 「私自身は、詳しくなかった状況で、1年間の取材が始まったんです。やはり、いろいろな子が同じ教室にずっといてるというのは、驚きました。世界的に見れば、当たり前だということは、後になって知っていくのですが、自分の中では、当たり前とは思えていなかったんです」(真鍋さん)

 大声を出しながら歩いていく子がいる。そんな中で、普通に授業が行われている。

 「“冷たく見えるやろ、周りの子ら”って、校長は私に説明しましたが、実際に周りの子らは障害のある子を無視しているように見えかねないほどに自分のやることに集中している。そんな映像を映画の中でも使っていますが、こういう環境でも学んでいけるんだということが、驚きでした。難しい環境に置かれている子はゼロではないですけど、その子たちを見捨てずに、必ずアプローチするので、みんなとのつながりを持てているように、私には見えました」(真鍋さん)

 いじめについても、ないわけではなく問題を認識して解決へと向かう。ただ、市教委から調査依頼が来れば、いじめのような問題を隠すことなく記述する。なかったことにするのではなく、解決に向けて可視化できることが誇るべきことだと、木村校長は話しているという。

 同校の唯一のルールは“自分がされていやなことは人にしない。言わない”。

 子どもたちは、このたったひとつの約束を破ると、やり直すために“やり直しの部屋”という名前の校長室にやって来る。

 映画の中で、木村校長が全校児童だけでなくそこにいる教職員や地域の大人も含む全員に、こう問いかけるシーンがある。

 校長「大空小学校は誰が作りますか? 」
児童「一人ひとりが作ると思います」
校長「一人ひとりって誰ですか」
児童「自分」
校長「自分って誰ですか? 手を上げてください」

 すべての人たちが手を上げる。

 校長「大空小学校は、自分の学校だから、自分が作るんです」

● 学校から飛び出す児童には 校長自ら追いかけて話しかける

 映画の出演者は、「大空小学校のみんな」。中でも象徴的な存在は、大阪市内の別の小学校から転校してきたセイシロウ君だ。

 校長は、全校児童にこう紹介する。

 「セイちゃんは4年生になりましたが、みんなのように毎日、学校へ行くことができませんでした。行けても2時間くらい。それは、セイちゃんが学校で1人でいることが落ち着かなかったからです。でも、今日から大空小学校に来て、みんなと一緒に安心して暮らします」

 そんなセイちゃんの最初の課題は、1日中学校にいること。何度も学校を飛び出していくセイちゃんに、校長は自ら追いかけていき、話しかける。

 「友だちのことを信用せなあかんと思う。人を信用してへんから、セイが居にくいと思うんや。でも、大空小学校は、みんなでつくっている学校です。セイが安心して居れないわけがない」
 
 安心できる場とは、周りの支えとつながりがカギを握っているのだ。

 また、6年生のカズキは、5日間、学校に来ていない。毎朝、なかなか学校に来ることができないため、先生たちが迎えに行く。

 校長は、こう言う。

 「(カズキが新入生として入学して来るとき)あの子が大空へ行くのなら、みんな大空はやめとこうという噂が広がった。あの子のそばにいたら、怪我させられるし、落ち着かない。でも、そんな子は、じゃあどこへ行けばいい? 」

 ユニークなのは、同校ではPTAとは呼ばないことだ。親と教員ではなく、サポーター(保護者と地域の大人)と教職員で作る「大空SEA」と呼ぶ。

 さらに、授業参観も家庭訪問もない。学校の窓ガラスも、すりガラスから透明なガラスに入れ替えた。

 いつも授業は開かれているし、家庭訪問も問題が起きたときに、担任が自主的に行けばいいという考え方だそうだ。

 どんなことも、決まりごとを一度解体して、新たに構築する感じがしたという。

 こうした全国にも前例がないであろう「大空文化」を6年かけて作りだしてきたという。

● 不登校がなくなったのは 「周りの子」が変わったから

 木村校長は、「学校に来られない子がなぜ来られるようになるのか」と言う問いかけに、こう答える。

 「その子が学校に来れるのは、周りの子が変わったから。その子を見る目が変わったから。だって、彼は何も変わってへん。彼は、彼やから」

 このコメントは、不登校にとどまらず、「大人の引きこもり」をはじめ、様々な社会的課題の当事者への向き合い方を考える上でも、大きなヒントになるのではないか。

 真鍋さんは、映画の「ディレクターズノート」の中で、こう振り返る。

 <校長は「“みんな”の中には“関西テレビの真鍋さん”も入ってますよ」と言っていた。私にはその言葉が指すものがよく分かっていなかったが、1年間、学校に通い続けることが、私自身にとっても「ともに学ぶ」日々であったことが、終わってみれば良く分かった。学校とは、教師が一方的に子どもたちに知識を与える場ではなく、様々な人が関わり合って学び合うところであった。そして学校だけではなく、社会という存在そのものが「大きな学校」であり、いろいろな人たちが関わり合うことで、学び合う場だと、いまは感じている>

 筆者も映画を通して、木村校長がどのようにしてこのような考えに至ったのか。ぜひ、この学校へ学びに行きたくなった。

 社会という大きな学校の中で、自分は何ができるのか、映画の中から大事な何かが見つけられるかもしれない。

  『みんなの学校』は、2月21日(土)から、渋谷「ユーロスペース」ほかで順次公開される。

池上正樹
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