「とって付けたような言い訳」というのは、まさにこのことなんじゃないか?^_^;
>「後ろ姿は『ここのお店は閉店します』というメッセージと、『また近隣の店舗でお会い
>できるのを楽しみにしております』という二つのメッセージをお伝えするためです。
「後姿」→「閉店します」までは、まあなんとなく分かる。
しかし、
「後姿」→「またお会いできるのを楽しみにしています」
というのは、本当にそう受け止める人がいると思って言っているとは、とても思えない。
そもそも、後ろ向きでそういう挨拶を口にする人は絶対にいない。(笑)
そういう挨拶は、こちらを向いてにこやかな顔をして言うものだ。
推測するに、例えば、こういうことならば納得がいく。
1、「閉店」→「去って行く後姿」というイメージでポスターを作ってしまった。
しかし、それでは「マクドナルドはもう終わり」というイメージを見る人に与えてしまう
ということに、作ってしまったあと(あるいは掲示したあと)で気づいた。
もう後戻りはできない。
そこで、「とって付けたような言い訳」を考えて、広報担当に言わせている。
2、「去って行く後姿」=「郷愁や哀れさを誘う」→「同情票」が集まるということを期待して、
ポスターを作った。
しかし、まさか「同情票狙いです」とは言えない。(笑)
そこで、「とってつけたような言い訳」を考えて、広報担当に言わせている。
どう推測しても、「とってつけたような言い訳」にしかならない。(笑)
ところがですよ。^_^;
こういうことを書くと、必ず「相手がそう言っているのだから、そうなのだ。お前はひねくれた奴だ」などと言う人が、必ず出てくるのである。^_^;
私の最近お決まりの「落ち」(笑)だが、私にはこれも「学校教育」のせいに思えて仕方がない。
「先生には絶対に逆らってはならない」と叩き込まれてそれを信じて育ってきた人達というのは、政府から「原発事故から発生している放射能は安全だ」と言われればそれをそのまま信じるし、「後ろ向きの挨拶は『別の店でまた会おうね』と言っているのだ」と言われればそれをそのまま信じてしまうように育つのだろう。きっと。^_^;
中には、それを真似して、確認すればすぐにバレるようなうそを平気でついて、それを疑われると「人の言うことを信用できないなんて、あなたはなんて悲しい人なんだ」なんてことを平然と言ってのける人まで現れる始末。(こういう人に出会ったことがない人は、幸運です。笑)
かくして、「統制がとれた国家」が出来上がって行くわけだ。^_^;
めでたしめでたし。
「信じるか信じないか、それはあなた次第です」(笑)
■「切ない」「不覚にも感動」 マック閉店ポスターが話題に 後ろ姿で手を振るドナルド「See you」
(ウィズニュース - 11月20日 07:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=3721189
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