■女児につけられた爆弾が爆発、19人死亡 ナイジェリア
(朝日新聞デジタル - 01月12日 01:58)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3221602
まずは、恐らくは何も知らされないままアッラーの御許に旅立たされた女児の魂が無事にアッラーに邂逅し慰められますように祈ります。
八百万の神様たち、大陸渡来の仏様たち、貧乏神や疫病神などマイナスを背負った神々まで雑居してのんびりまったりくらしてる日本人には理解しがたい宗教的理屈が多分きっと色々あるんだとは思うけど。
子供まで犠牲にした時点で、どんな理屈も屁理屈でしかないよね。
どんなご立派な大義名分振りかざしても、ただの卑怯な殺戮でしかないってどうして解らないんだろう。
視野狭窄だから狂信者となるのだろうけれど、そこから自身がテロリストとして殉教することへの恐怖をすり替えさせるのだろうけど。
行くなら、自分で勝手に行けばいい。
何故、それを何も知らない子供に押し付ける?
そうまでして手に入れたいものは何?
『子供を犠牲にして、理想の社会なんてほざく馬鹿は許せない』
古い漫画ですが、新谷かおる【砂の薔薇】に出てくる台詞です。民間の対テロ部隊の女性チームの活動を描いた話で、重火器と硝煙の匂いがする、でも女性チームということで女性の読み手にも入りやすい作品。
本当に、そうですよね。
テロリストがどうお題目を掲げようとも、子供を犠牲にすることなど許されてはならない。
アッラーの神は、預言者ムハンマドは、子供を犠牲にして構わぬといつ断言なされたというのか。
最もその御名を貶め汚しているのは、不信心者でも異教徒でもなく、他ならぬ自分たちであると理解できないのなら哀れというほかはない。
ムスリムにとっては理解の範疇をはるかに超えるであろう宗教的闇鍋な日本で、彼らなりにそこそこ折り合いをつけながら穏やかな日々を過ごすムスリムは少なくない。さまざまな食材があふれる中で食物禁忌を頑なに守り、日に5度の礼拝を欠かさず、敬虔に静かに生きる人々もいる。
どうして、おかしくなっちゃうんだろう。
ログインしてコメントを確認・投稿する