mixiユーザー(id:33738144)

2014年12月30日12:06

205 view

思い、描いてください !

思い、描いてください !
     奈佐 葵
あなたの「 たからもの 」は、何ですか?

人には、それぞれの人生があります。


この人生は、あなたが、主人公の物語です。

時として、人生は、過酷な表現をします。

あなたは、この人生の物語から、脱出したい! 
別な主人公になりたい! と思いますか?

どんなに夢を描いても、「もし・・・○×○×だったら・・・」と空想に耽っても、現実は、すぐに、自分の居場所を、強く主張します!

自分が主人公の物語を、静かに、愚直に、紡いでいくしかないようです。


私たちは、人間に囲まれ、物質に囲まれ、複雑な環境のなかで、生きています。この複雑な風景のなかで、見過ごしていること、忘れてしまったことがありそうです。

 あなたは、自分の「 たからもの 」が、思い描けましたか!?




私のESSAYです。
宜しければ、お読みください。

『 なにわ風景 』 (『私のたからもの』 日本文学館 刊)

 奈佐 葵(なさ あをゐ)


〈路地は情けないくらい多く、その町にざっと七、八十もあろうか〉

 織田作之助は、こんなふうに『わが町』に書いている。



 織田作の愛した大阪は、庶民の体臭のする下町で、生国魂神社から河童路地の長屋が集まった裏町に、愛着を感じていたのだ。

 織田作の世界は、今ここに存在しないが、なにか変らないものが残っている――大阪庶民の匂いだろうか。



 スナップショットが流れ去り、色の風景を秘密にして、お洒落と時間を運ぶ色彩の浪費に、大阪人という分類がある。



 大阪のキタには、街の冷たい顔があり、ミナミには、大阪庶民の匂いがある。キタは、大阪と東京の混合混在文化で、ミナミには、昔ながらのなにわの雰囲気がある。



 キタの「お初天神」とミナミの「水かけ不動」――遊女の名前をつけた天神さん(露天神)と商売の不動さん――この点は、キタもミナミもなにわらしいが、お初天神が、高層ビルの谷間に静かに取り残され、すこし忘れかけられているのに、水かけ不動は、線香と水が絶えない。



「キタで、遊ぼか」

「ミナミで、なんか旨いもん食べよか」



 どこまでがキタで、どこからがミナミか、誰にも正確な面積はわからないが、話は通じる。キタもミナミも、行政区域ではなく、地理のセンスの問題で、時代によって、この意味する場所は変化している。



 関西の都市性を、語感で表現する人がいる。

 京都は、はひふへほ。神戸は、ぱぴぷぺぽ。大阪は、ばびぶべぼ。いや、びゃびぃびゅびぇびょ、よく似合うかも知れない。



 京都に、雪が降り――神戸に、花が降り――大阪に、銭が降る― ― 違う!



 大阪は、月の似合う街である。

「橋桁のしのぶは月の名残哉」(芭蕉)



 水の都は、橋の都。

 橋の都は、月の都である。



 冷たい水面に揺れる蒼い月影、川面に浮かぶ満月の幻覚魔睡、これが水の都大阪のいつまでも眺めていたい、原風景である。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する