思い、描いてください !
奈佐 葵
あなたの「 たからもの 」は、何ですか?
人には、それぞれの人生があります。
この人生は、あなたが、主人公の物語です。
時として、人生は、過酷な表現をします。
あなたは、この人生の物語から、脱出したい!
別な主人公になりたい! と思いますか?
どんなに夢を描いても、「もし・・・○×○×だったら・・・」と空想に耽っても、現実は、すぐに、自分の居場所を、強く主張します!
自分が主人公の物語を、静かに、愚直に、紡いでいくしかないようです。
私たちは、人間に囲まれ、物質に囲まれ、複雑な環境のなかで、生きています。この複雑な風景のなかで、見過ごしていること、忘れてしまったことがありそうです。
あなたは、自分の「 たからもの 」が、思い描けましたか!?
私のESSAYです。
宜しければ、お読みください。
『 なにわ風景 』 (『私のたからもの』 日本文学館 刊)
奈佐 葵(なさ あをゐ)
〈路地は情けないくらい多く、その町にざっと七、八十もあろうか〉
織田作之助は、こんなふうに『わが町』に書いている。
織田作の愛した大阪は、庶民の体臭のする下町で、生国魂神社から河童路地の長屋が集まった裏町に、愛着を感じていたのだ。
織田作の世界は、今ここに存在しないが、なにか変らないものが残っている――大阪庶民の匂いだろうか。
スナップショットが流れ去り、色の風景を秘密にして、お洒落と時間を運ぶ色彩の浪費に、大阪人という分類がある。
大阪のキタには、街の冷たい顔があり、ミナミには、大阪庶民の匂いがある。キタは、大阪と東京の混合混在文化で、ミナミには、昔ながらのなにわの雰囲気がある。
キタの「お初天神」とミナミの「水かけ不動」――遊女の名前をつけた天神さん(露天神)と商売の不動さん――この点は、キタもミナミもなにわらしいが、お初天神が、高層ビルの谷間に静かに取り残され、すこし忘れかけられているのに、水かけ不動は、線香と水が絶えない。
「キタで、遊ぼか」
「ミナミで、なんか旨いもん食べよか」
どこまでがキタで、どこからがミナミか、誰にも正確な面積はわからないが、話は通じる。キタもミナミも、行政区域ではなく、地理のセンスの問題で、時代によって、この意味する場所は変化している。
関西の都市性を、語感で表現する人がいる。
京都は、はひふへほ。神戸は、ぱぴぷぺぽ。大阪は、ばびぶべぼ。いや、びゃびぃびゅびぇびょ、よく似合うかも知れない。
京都に、雪が降り――神戸に、花が降り――大阪に、銭が降る― ― 違う!
大阪は、月の似合う街である。
「橋桁のしのぶは月の名残哉」(芭蕉)
水の都は、橋の都。
橋の都は、月の都である。
冷たい水面に揺れる蒼い月影、川面に浮かぶ満月の幻覚魔睡、これが水の都大阪のいつまでも眺めていたい、原風景である。
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