沖縄大学で竹野内真理の話 2/3
https://www.youtube.com/watch?v=hoPTHxwCyqE&feature=youtu.be&a
この動画の最初の方でかなり重要なことを話されてると思います。7分前後。
そこから先は私もこれから見ます。
最初の方で、真理さんが、東京で2011年3月15日知らないで被曝してしまったと言っています。
これ、重要だと思います。
私も電源喪失と聞いたとき、メルトダウンだと思いました。でも、11日の間はとりあえず、東京近辺の数値は上がってなかったように記憶しています(スクリーンショットで残しておけばよかったな)しかし、フクイチ周辺ではもう放射能は放出されていたはずです。
私は夜外に出て夜食を買いに行きました。
翌日、スーパーで食べるものが売ってないと聞いたので、コンビニでちょっとしたものを買って帰りました。うちに戻ったの12日でした。
このときは東京の電車が動き出して即効川崎に帰ったのですが、ここでもう一発地震が来てたらと今考えると、怖いです。でも、明るいときなら何とかなるのではと思ったので、移動しました。
で、うちに戻って寝ていたら、フクイチの一号機が爆発しました。
ただ、私、今考えればパニックだったのでしょう。
その日茨城に行く予定だったのですが、明け方まで茨城に行くかどうか悩んでいました。
御嶽山で写真を撮っていて無くなった方のメンタリティーに似てると思います。
福島で爆発して、15日東京で放射能が来てると思わなかった。と8分前後
私は放射能は来ると思ってたけど、後でやっぱり、あそこまで大量に来るとはやっぱり思ってなかった。
私は原発反対しだしたのは2006年3月で、放射線被曝について勉強しだしたのは、2008年末からぐらいですけど(その前の2年間なにやってたんだって話があるけど)竹野内さんはもっと前から活動してて、かなり情報のある人がですよ。そう言う判断だった。っていうのは超ショックと言うか。
考えてみたら私も、事故が来るって言っていたのに、事故想定が全くされてなかったというのがショックと言うか。地震来たら壊れる。放射能が漏れる。ってはいたけど、何も出来なかった、出来たのは安定ヨウ素剤を準備できたことぐらい。
でも、子供にしか飲ませなかった。
15日近辺私が出歩かなかったのは、たまたま仕事がなかったからで、ただそれだけ。
21日の時も、そうみたい。
風データは気象庁は隠したんですよ。
事故前から風は意識してた。でも、こんなに遠くまで汚染されるなんて。
今後の事故のときどうすればいいのか、何度も考えようとしてますけど、まだまとまってません。
2011年、3月23日の私の日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1694601313&owner_id=110966 癌にはなるという資料がないと言いながら、がぶがぶ水道水を飲んでた元ミクさんは元気なのかな。最近の日記がない。
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