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2014年10月31日18:24

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ハッピーハロリン

いまさら聞けないハロウィンの由来
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3120489

ハロウィンと言えば、僕の中では、ジョン・カーペンターの「ハロウィン」だ。

ハロウィンの夜に精神病院から抜け出したオトコが白塗りの仮面を被った殺人鬼となって、自分の妹を殺そうと付け狙い、道行く人々を殺して回るというアレ。

この映画の面白いのは、主人公の殺人鬼がジェイソンのような白塗りの仮面を被って、街をウロウロするのだが、その日なハロウィンの夜。
皆が仮装している為に、その白塗りの仮面の殺人鬼もまた仮装しているのだと思われ、不審がられないことだ。

僕は子供の頃、この映画を観て、そのへんのところがよく解らなかった。
というのも、僕が子供の頃は、ハロウィンなんて行事は、日本では全く知られていない行事だったのだ。
だから、何故、夜中に子供や若者が仮装をして浮かれ騒いでいるのか、全然理解できなかったのだ。

しかも、アメリカ映画ではよく出てくる、ジェイソンやブギーマンなどの通り魔的な殺人鬼。
これには、全くと言っていいくらい恐怖を感じなかった。
どちらかと言えば、日本の怨みを持ったオドロオドロしい幽霊こそに、子供心に恐怖を感じたものだ。

映画を観ていて、アメリカの人は、こんな作り物の殺人鬼キャラクターの何処に恐怖を感じるのだろうと不思議に思ったものだった。

だが、これこそが文化と社会の違いを如実に表したものだろう。
きっと、アメリカの人は、ジェイソンやブギーマンといった殺人鬼キャラクターに、僕たち日本人が感じる幽霊と同じく、現実味を感じる恐怖感を持っているのだ。

というのも、アメリカ社会では、それだけ怨恨とは関係のない、突発的な殺人や通り魔的な殺人が日常的に起こっている。
夜中一人で、街を歩けば、金目当ての暴漢に襲われ殺される。
そのような恐怖が日常の中に身近な恐怖として感じるのだろう。

しかも、ハロウィンの夜。
皆が仮装している中、そのような殺人鬼が仮装をして人々の中に紛れ込んでいたとしたら。

これはアメリカ社会の中では成立する恐怖なのだ。

僕が子供の頃の日本では、そんな通り魔的な殺人はそう頻発に起こることはなかったし、ハロウィンだって、先述したようなレヴェルでの認知度だった。
僕がもう一つ、現実感を帯びた恐怖として、この映画を観て怖がれなかったのも無理ない話なんだろう。

もしかしたら、今の日本は、もう少しジェイソンやブギーマンが怖がれる世の中になっているのかも知れない。
それだけ昔と比べて物騒な世の中になったということなんだろうが。

因みに今朝、次男のみのりくんを保育園に送るのに一緒にクルマに乗っていたら、みのりくんが窓の外を指差し、

「パパ!!ハロリンや!!ハロリンやってる!!」

と叫んだ。

ハロリンって何だろうと思い、窓の外に目をやると、それにはハロウィンの飾り付けが。

そっか。
みのりくんはハロウィンと言いたかったのが、ハロリンになってしまうのだ。

だが、ハロリンで良いのかも知れない。
本来、日本の文化とは全く関係のないものを、ただイベントにしたいだけでわざわざ外国から持ち込んだ文化だ。
それはハロウィンであって、ハロウィンでない。

ならばハロリンでイイじゃないか。

ハッピーハロリン!!
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