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2014年09月23日22:21

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潔白の罪を考える

■死刑囚、筆に託す心 渋谷で300点以上を展示
(朝日新聞デジタル - 09月23日 13:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3064825

この記事に掲載されている絵。
風間博子死刑囚の「潔白の罪」と名付けられた絵。

何故、潔白の罪なのか。
何故なら、風間博子死刑囚は、冤罪を主張し続けているからだ。
ここでのその事件の概要を詳しくは書かないが、この絵を持って来て、死刑廃止を訴えかけるのは少し違うと思う。

絵の中の女性は彼女自身だ。
彼女は自分の身の潔白を訴えているのだから、不当に貶められた暗い井戸の中から、必死に這い上がろうとしている。

もし自分が本当に無実なら、それは当然のことだろう。
だが、この絵をもって、これが総ての死刑囚の心の中を表してわけではないし、沢山ある絵の中から、何故、わざわざ記事の写真に冤罪を主張する人間の絵を持って来て記事にするのか。
そこにこの記事を書いた人の意図や思惑が見えてくるような気がして、イヤな気分になる。

別に死刑囚に表現の場を与えるのは構わない。
死刑囚となった自分の気持ちを文章や絵で表現するのも別に構わない。

だがそれをもって、死刑廃止の道具として、僕ら一般市民の心情に訴えようとするのは少し卑怯ではないか。
誰だって死にたくはないし、況してや死刑になんてなりたくはない。
殆どの人は、そう思い真っ当な人生を歩んでいく。

そんな一般市民にこの絵を見せ、死刑の悲惨さを訴え、死刑廃止を訴えかける。
だが、殆どの人は、そんな絵を見せられても、只々不快だけでしかない。
そしてきっと、こう思うだろう。

”ならば、最初から死刑になるようなことをしなけりゃいいのに。”

こうした死刑廃止の意見が、被害者の家族から出てきたとしたら、僕らは被害者の家族の立場に立って、少しは死刑廃止について考えることもあるかも知れない。
だが、死刑廃止についての意見は、いつも加害者側の家族や加害者の人権ばかりを主張する人間からのみ発信される。

随分と身勝手な主張だと感じてしまうのは、はたして僕だけなんだろうか。

とにかくこの記事に関しては、わざわざ冤罪を主張する人間の絵を記事に持ってくるあたり、記事を書いた人の意図が見え隠れして、とても不快である。
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