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2014年09月07日15:15

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生活の音?騒音?

「保育園の声うるさい」と提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3040883

僕の妹がまだ10代の頃、電車に乗っていて、乗り合わせた幼児の泣き声がウルサイと文句を言っていたことを思い出した。

実際、子育ての当事者でないと、こうした子供の声は騒音でしかないのだろう。

だが、妹は近々結婚することが決まったが、妹だって、この先、もしかしたら自分に赤ちゃんが出来るかもしれないし、出来たらきっと、その赤ちゃんの泣き声を騒音ではなく、生活の音と感じるようになるはずだ。

所詮、人なんてのは、自分の立場でしかモノゴトが判断できないのだ。

この記事を読んで、僕は、率直なところ保育園側に同情した。
これはまあ、僕が5歳と3歳になる息子がいて、それぞれを幼稚園と保育園に通わせているというのがあるからだろう。

つまりは子育ての当事者としてこの記事を読むから、子供の声は生活の音で、騒音だと感じるという人に違和感を感じる。
幼稚園での子供の声なんて、当たり前の話であって、提訴して慰謝料を要求するなんて、やり過ぎじゃないか、とこうなるわけだ。

しかしながら、この高齢者の男性のように、自分が子育てに関わることもなくなった人にとっては、子供の声は生活の音ではなく、騒音に聞こえる。
いや、この男性ばかりでない。
僕の妹のように、まだ子育ての当事者でない人だって、同じく生活の中に子供の声がないのだから、騒音に聞こえることだってある。

そんな人たちがこの記事を読めは、男性の言い分は尤もだ。
むしろ、それだけの騒音を出しているのにも、充分な騒音対策を取らない保育園が悪い、こうなるんじゃないだろうか。

これには、正解はない。
一つの音が、騒音に聞こえるか、生活の音として許容できるかなんて、その人の感じ方次第であって、これに正しい、間違っているはない。

あるのは、お互いの歩み寄りだけだ。

その歩み寄りがなく、それぞれの立場でもって、それぞれの主張をするから、提訴にもなるし、慰謝料を要求するなんてことにもなってしまう。

大事なのは、相手の立場を思い遣る気持ちなんだろう。
男性は、子育ての当事者の立場で保育園や保育園を取り巻く環境を思い遣る。
保育園は、こうした男性の立場に立ってみて、保育園から出る音がどのように聞こえているか思い遣ってみる。

それがあれば、子供の声だって生活の音として許容できるようになるんだと思う。

そしてそれがあれば、地域のコミュニティとしての子育てに昇華できるんじゃないだろうか。

今は、その部分がなく、ギスギスしているから、子育てのやり難い世の中になっているような気がする。
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