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2014年08月19日20:59

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道徳の時間

■<道徳教育> なぜいま「特別の教科」に格上げを検討?
(THE PAGE - 08月19日 17:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=3015613

「道徳」−人々が善悪を弁えて正しい行為をなす為に、守り従わなければならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。(デジタル大辞泉引用)


僕の妹の友達に、小学校の教員をされている人がいる。
その先生が毎月頭を悩ませているのが、給食費の問題らしい。
毎月決まって、何人かの児童の親が給食費を納めない。
それどころか、何ヶ月も滞納している人もいて、給食費の回収に頭を悩ませているらしいのだ。

他の児童の手前、その児童が給食費のことで恥をかいたり、イジメられたり、肩身の狭い思いをさせないよう、児童には給食費のことは言わず、保護者に電話を掛ける。
何人かは、それで給食費を納めてくれるらしいのだが、それでも払わない保護者がいる。

そこで、学校が終わってから自転車を漕いで、その児童の家へ給食費の回収に向かう。
家に行くと大抵は給食費を払ってくれるらしいが、中には嫌な顔をされたり、借金取りのような真似をするなと反対に恫喝されたり、居留守を使われて、何度も足を運ばなければならなかったりと、大変らしいのだ。

しかも、それでも給食費を払ってくれない保護者もいる。
そんな場合、その先生は、その児童の分の給食費を自腹で立て替えているらしい。
親の為ではない。
その子の為に。

この話を聞いて、今回の道徳教育の記事を目にすると、果たして、今の学校で道徳教育なんて意味を為すのだろうかと思ってしまう。

もちろん、道徳教育は大切だ。
今日もmixi記事の中に、「何故、人を殺してはいけないのか」なんていう、議論するにも値しないようなコラムが載っていたが、こんなことにも理屈を捏ねたり、答えが要るのなら、冒頭の道徳の意味をよく読んだほうがいい。
それでも、まだ理解出来ないなら、子供たちと一緒に学校で道徳を一から学んだ方が良いんじゃないだろうか。

しかしながら、本当に道徳教育が必要なのは、今の子供たちなのか。
給食費の話を聞いて、僕はそう思う。
いや、給食費の話ばかりでない。
今の学校を取り巻く環境、保護者と先生との関係性、それを思うたびに、本当に道徳教育が必要なのは、今の親の方じゃないのか、と思うのだ。

親が子供の前で、先生の悪口を言う。
そうすることで、子供は先生をナメるようになる。
そのような関係性の中、先生がいくら子供に道徳を説こうにも、誰が真摯に聞く耳を持つだろう。

まずは、先生を学業の師として、そして、人生の師として敬う。
先生の仰ることをちゃんと聞く。
そのように、まずは親が子供に対して、ちゃんと躾けることをしなければ、いくら道徳教育をしようにも、教育をする環境が整っていない。

また、親や学校の先生にしてもそう。
大人は子供が敬う存在であり、規範を示す存在であることを行動で示さなければならない。
だが、どうだろう。
給食費すら払わない親を、誰が尊敬できるだろう。
屁理屈を捏ねて、式典でのマナーすらポリシーを優先して守れない先生を、誰が尊敬できるだろう。
昨今の先生の不祥事や、先生は別に生徒に尊敬される存在であるという姿勢。
そんなので、子供たちが道徳教育にだけ、真摯に聞く耳を持つ訳がない。

昔は、道徳教育の前に、親や先生を敬う。目上の人を敬う、という躾としての土台があった。
だから、道徳教育は子供たちに対して、意味のあるものであった。
しかし、今はその土台がない。
土台がないのに、いくら立派な家を築いても、それは簡単に崩れてしまう。
土台となる今の親や先生が、道徳を知らずに育ってきているからだ。

道徳教育の前に、まずはやらねばならないことがある。
僕はそう思うのだ。
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