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2014年05月09日23:02

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「笑い」についての一考察

ナイナイ岡村“お蔵入り騒動”理解求める「何らかの形で供養する」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=2874520


ぶっちゃけ「人権云々」などとパロディの対象者を擁護することで善人ぶるその一方で

マスコミ報道に乗せられるままに「人権」を蔑ろにして叩く、大衆の偽善が気持ち悪いんですわ。


さて。

笑いというモノはデフォルメ(誇張)から生まれる場合があります。
デフォルメされた人物像の現実との落差や異質性といったギャップが
「笑い」と言う緊張緩和の感情に繋がる訳です。

「アホ」と言う概念の「笑い」が関西圏を中心にあります。
関東圏では「バカ」と言う方がニュアンスとして解り良いかもしれません。

これらは特定の「社会的弱者」を指してカテゴリ付けされたレッテルです。
社会的弱者の言動の「ギャップ」が笑いとなるものですね。

古くは狂言であったり、また落語の世界にもこの「笑い」は多々登場します。

しかしただ単に言動にズレがあるだけでは笑いへとは繋がりません。

そこには不器用ながらひたむきに生きる姿があります。

そこには迷惑千万ながら赦しを与えてしまう純粋さがあります。


さて。

件のニュース記事について見ていきますと
おぼろげながらではありますが、目指していた「笑い」が想像できます。

ま、なんにせよ「オンエアされていない」のですから評価はできません。
空想のままに迷走してしまうと「下衆の勘繰り」になってしまいますので。
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