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2014年07月25日04:01

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裁判員は国民の代表か

■「量刑の公平性必要」=裁判員裁判で初判断―求刑1.5倍破棄・女児虐待死で最高裁
(時事通信社 - 07月24日 16:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2980793
−−−−−
今回のケースを受けて皆さん
「だったら裁判員制度いらないじゃん!」
みたいに書いてますね。

そのうちかなりの部分が
「国民の声を反映しないのならいらねえだろ」「制度があるからにはちゃんと反映しろよ」
という主旨のものだとお見受けしますが、よろしいでしょうか。

なるほど、分かり良いところで最高裁のサイトのQ&A
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/
を見ても裁判員には「国民」役が期待されているようですね。

でもね、裁判員ってたった6名しかいないんですよ。
無作為に選ばれた6名で「国民」の声を代表させるってのは、乱暴すぎやしませんか。

これ、行政で考えたらどうでしょう。
無作為抽出の国民が議員となって国会が運営されて、民主主義と言えますかね。

そうじゃないでしょ。

やっぱりその人々が「国民の代表」だと言うためには、選挙というプロセスが必要なわけで。
なんで裁判員を選ぶ上で、それが無いのかって話になりますよね。
裁判員は単にそのへんを歩いてるオバサンオジサンではなく。
「国民の代表」たる人として選ばれる必要が、最低限、あるんじゃないですか。

というわけで、裁判員は選挙で選ぶってシステムが作られたと仮定します。

その際、候補者が最もアピールするのは、どういった点でしょうか。
いかにも一般の国民らしく、ネットやってたりアイドル好きだったりカノジョがいないこと?
いや、そうじゃない、それじゃあ、偏ってますよね。

むしろ、どれだけその人が「司法」という土俵の上で「プロか」ということじゃないでしょうか。
「プロとしての信頼性」が、その人を代表として選ぶ基準になるというか。
少なくとも選挙民は、候補者のそれまでの経歴がどうあれ、彼ないしは彼女に「プロ」としてふるまってくれることを求めるんじゃないでしょうか。

つまり、「国民」のひとりひとりはアマチュアであっても。
「国民の代表」は「代表」としてプロであることが求められるんじゃないかと思います。
そのへんのオジサンオバサンは「国民の中のひとり」であっても。
「国民の代表」という名の「プロ」に相応しいかというと、甚だ疑問でしょ。

なーんだ、結局、プロに任せろ…って話になりません?

んで、その「プロ」に民意を反映するためにはさ。
現状、最高裁判所裁判官国民審査ってのがあるのに。
その「審査」に国民の声を反映させるためのアピールが不十分に思えるのにさ。
一足飛びに−まるで国民の誰もが司法の「プロ」になりうるような−裁判員制度って。
無理がありますよ。

「だったら裁判員制度なんていらないじゃん」
−うん、それは正解。
もともと、おかしな制度なんですからね。
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