そんなわけで大雪だ(;・∀・)
外仕事なんてありえない。
でもって、普段はお金だけのために働いてるオレには仕事に対する情熱もないので、
今日の仕事はサボリだ( 一一)
といってもちょーど一ヶ月ぶりの休日だ。
そして、昨夜はサボリ前提で夜更かしをし、朝、雪のヤバさを確認し、昼過ぎに起床(・∀・)/
んで、例によってNGOの仕事を始める。
たぶんこのまま夜になり、気がついてみたら明日になるのだろう。
ところで。
フィリピンのスラムの貧困への支援を中心に活動しているNGOの仕事は、
めっちゃ簡単に言ったら人助けだ。
それはただの、よくある「海外ボランティア」ではない。
結果的にはボランティア活動もしてるけど、ボランティアをするために活動をしてるわけじゃない。
最近、海外ボランティア団体だとか、大学の授業で「国際ボランティア」とかがよくあるんだけど、しょーじき意味がわからない。
せめて国際協力っていう言葉を使えるくらいであってほしい。
でも、自己満足のための、日本人のための海外ボランティアは、国際協力じゃない。
就活のために役立つらしい。そして「いい経験になった」、確かにそれは間違いないのだろう。
でも、目的は、「いい経験」ではなく、「現地の人々のために」だ。
「いい経験」は、あくまでも結果だ。
と、いつも思うのだが、
そんな楽しくなさそーな考え方を押し付けても仕方ない。
結果、
「自己満足でもなんでもいーや。無関心や何もしないよりは、やった方がいいんだし。」
くらいでいいんだとも思ってる。
そして、
支援してる現地のスラムの人達。
つくづく思うのは、
「持たないことは、ある意味美しい」ということだ。
なんていうんだろう、
「そこに何もなければ、みっともない欲も生まれない。」
そういうことってある。
でも、得ることを覚えてしまうと、人はエゴのかたまりになってしまう。
残念ながら、支援を受ければ受けるほど、自己中心的になり、欲深くなってしまう。
「自分は後でもいいから、もっと状況が酷い人達を助けたい。」
それは現実には不可能なのかもしれない。
まずは自分自身がちゃんとしてなきゃ、ボランティアも支援も何もちゃんとできないだろう。
それも言えてるとは思う。
でも、もう少し、
自分達よりも他の…
という気持ちや姿勢を持ってもらえたら嬉しいのに、とよく思ってしまう。
なんか、エゴまるだしにされてしまうと、自分のやってることが虚しくなってしまう。
「金の切れめは縁の切れめ」
という言葉は日本以外にもあるのだろうか?
それはわからないけど、
この活動をしてて、それをすごく感じる。
相手のことを考え、相手に求められてる支援をしてる、
めっちゃ自分を犠牲にもしてきた。
例えばボランティアツアーとかに参加してくれてる人達だって、たくさんのお金と時間を使って、現地のためにがんばってくれてる。
でも、
こっちがお金を使うのをやめたら、その関係もきっと終わりだ。
それまで「家族」とか言ってても、どんなに楽しかった思い出があっても。
終わりにするのは、支援を受けていた側だ。
そして、その先に待っているのは、
また元通りの貧困だ。
子供達は学校へ行けず、満足にご飯も食べれず、病気になっても病院にも行けずに尊い命が簡単に奪われてしまう。
出逢いも別れも、生も死も、すべては神の思し召しなんだって、
そう考えれたらどんなにいいだろうと思う。
でも現実はそれだけじゃ済ませれない。
なんとかできるものなら、なんとかしたい。
今あるその生命を、かけがえのない笑顔を守りたい。
そしてまたジレンマに悩んでしまう…
全部投げ出してしまえたら楽になる。
そう思うこともある。
でも、今、何か明確な目的や主張があって、こんな生き方をしてるわけじゃないから、
ただ流されようとしてるだけだから、
投げ出すことのほうが不自然だったりする。
できることなら、
もっと気楽に流されたい。
何も考えずに、ただ流されるまま、生きていたい。
どこにたどり着くのかなんてわからないけど、
ただ、導かれるがままに生きていきたい。
できれば、
あたたかい気持ちや、すりきれそうな笑顔を、その手に抱えたまま…
…
雪が降ってる。
なんかヤバイくらい降ってる。
窓から見える世界が灰色になってく。
少しだけ外へ出よう。
灰色の空から、真っ白な雪が降りしきる。
真っ白、
だ。
窓を開ければ世界が変わる。。
もっと視野が広がるかもしれないし、何か新しいものが見つかるかもしれない。
何か違うきっかけが、そこに転がってるかもしれない。
灰色の心で、ごちゃごちゃ考えてるだけじゃ仕方ない。
昨日と変わらぬ愚痴をこぼしてるだけじゃ何も変わらない。
現実は今ここにある。
どうしようもない。
寒くて凍えそーだけど、
あんまし遠くへは行けないけど、
少しだけ
外に出てみよう。
そこはきっと、
真っ白。
真っ白な世界。
そこから始められたら、
新しい一歩を、真っ白な上にしるせたら、どんなにかいいだろう。
不安や危険はたくさんあっても、
そこにはきっと希望や夢もあるんだろう。
抱え込んできた現実は、もう真っ白には戻らないだろうけど、
次の一歩を踏み出す先は、
そこには、まだ汚れのない真っ白な世界があるかもしれない。
そう思ってもいいだろう?
凍えた指がちぎれる前に何をしたらいいのかなんてわからない。
向かおうとしてる場所は正しいのか間違ってるのかもわからない。
どこに向かっているのかさえ見失ってるのかもしれない。
何を信じていいのか、信じるべきものがあるのかなんてわからない。
辛くても苦しくても、いったいどこへ逃げればいいのだろう。
だからといって、ろくでもない現実から目をそらしはしない。
自分にまとわりつくくだらないしがらみから逃げられないことくらい本当はわかってる。
でも、少しはマシな明日を夢見ることくらいは許されてもいいだろう?
なあ、それくらいは、
いいだろう?
…
真っ白な雪の上に
踏み出した一歩は
その足跡は
ふりしきる雪に
きっとすぐに消えてしまうだろう
でも
その一歩は
確かにあったんだ
それだって
現実なんだ…
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