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2014年02月01日01:21

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他人に注意するということ

■ポイ捨て注意に立腹 傷害致死容疑で男逮捕 茨城県警
(朝日新聞デジタル - 01月31日 11:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=2744785

何年前だったか。
そこそこ混んでいる電車の優先座席にドッカリと腰を降ろして、携帯電話を使って大声で話しているオッサンがいた。
皆、心中、迷惑そうにしていたのだろう。
そちらのほうをチラチラと見ていたから。

そこに1人の初老の男性がやってきて、そのオッサンに向かって注意した。
電車内の携帯電話の使用は、周りの人の迷惑になるので、止めるようにと。

まあ、そこでそのオッサンが素直に謝るか、渋々でも携帯電話を仕舞えば、事は収まったのかも知れない。
だが、そのオッサンはそうじゃなかった。
反対に、何故、お前にそんなことを言われなアカンねん、と絡んできたのだ。
たちまち、そのオッサンと初老の男性とは、口論になった。

この一件と、今回の記事は状況がよく似ている。

注意された側が逆ギレしているという点だ。
何故、注意された側は逆ギレしたのか。
それはきっと、自分のマナー違反の無自覚というより、マナー違反であることを重々承知しているところを他人に注意されたからだ。
つまり、注意された側にしてみれば、恥をかかされた、というわけだ。

どんな人にも、プライドというか、自尊心というのはある。
子供の頃は、大人から叱られたり、注意されても、それほど自尊心が傷つかなくとも、大人になれば、そうはいかなくなる。

特に、60歳も越えた、いい歳をしたものの分別もつかないといけないような、寧ろ、モノゴトの常識について、若い者に説教の一つでも垂れるような、そんな年齢の男だ。

もちろん、タバコのポイ捨てがマナーに反することだなんて、他人に注意されなくとも、自分がよく知っているだろう。
それをわざわざ赤の他人に咎められた。
この男にしてみれば、公衆の面前で恥をかかされたのだ。
酷く、自尊心を傷つけられたのだ。

そして、もう一つ。
こうしたマナー違反に対して注意する方だ。
注意する人間にも、自尊心というのはある。
そして、自分の中に正義というのがあって、マナー違反をしている人間に対して正義を振りかざす。
それでもし、相手が謝罪したり、自分の正義が
貫かれた場合、注意した人間はきっと、その光景に自分の自尊心が満たされることだろう。

しかし、注意しなければならないのは、自分が正義を振りかざす行為によって、相手の自尊心を傷つけることになるかも知れないということだ。
そして、公衆の面前で恥をかかされた人間は、素直に謝るよりも、自分の自尊心を守るため、逆ギレして注意した相手に攻撃的になる。

大人が大人に対して注意するという行為は、そうしたリスクや危険性を孕んでいることを僕らは知っておかなければならないのだろう。

はたして、この男はこうすることで、自分の自尊心を守れたのか。
だとしても、あまりに失ったものが大きすぎるんじゃないだろうか。

それとも、あの時、素直に謝るかタバコを拾ってその場を収めていれば、と後悔しているだろうか。

たった一本のタバコのポイ捨てだったのに、その代償は余りに大きい。
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