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2017年03月09日23:28

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どんな寿司でも寿司は寿司

リトルウィッチアカデミアの寿司回の話です。ネタバレが嫌なら即閉じしなされ。
自分って生海鮮が駄目らしく、すし屋で食べ終わる頃にいつも喉に違和感覚えてたんですけど、そのことに思い当たったのって割と最近だったりします。
まあ、寿司なんて回るのですら一年に一回行くか行かないかですけど。

でまあみんな大好きシースー回だったわけなんですけど、いや、そう言ってたのはアニメイトカフェの店員さんだったっけかとかはまあいいとして、今回のタイトルにした「どんなスーシィだってスーシィはスーシィだよ!」って言ってたことについて。
まあ、嫌な年の取り方をして素直に物事を見れなくなってくると、こういう台詞を聞いて真っ先に思い浮かぶのは「また使い古された言葉を…」ってことでした。
まあ物語作品でよく「いい台詞」としてよく使われてるイメージがある、ってことです。
なので、まあどうしようもなくひねくれた性格の自分なんかは、「いい台詞さえ入れれば納得すると思っているのではないか、馬鹿にされているのではないか」っていう考えに一瞬にして辿り着くんですけど、それこそ過剰反応で、そういう考えに陥ると、むしろ前後の流れを自分が見なくなってしまうっていうのが、客観的に見ると結局馬鹿なんじゃないか、とか思うわけです。
まあ今回リトルウィッチアカデミアでこの台詞が出てきたシーンの前後を少し追うと、自分で作った魔法薬を飲んで目覚めなくなったスーシィを目覚めさせるために、スーシィの夢?の中に入ったアッコが、スーシィの中に芽生えたほんの小さな気持ち、例えば「ロッテのナイトフォールを読んでみたい」とか言ってるたくさんのスーシィが「スーシィ裁判」でことごとく死刑判決を受けいよいよ最初のスーシィにギロチンが落ちてきたのを受け止めながら言った台詞です。
まあ、「今の自分に固執しようとしている」とか「変わるのが怖い、恥ずかしい」とかなのか、スーシィがどんなつもりでスーシィ裁判を行っていたのかはわかりませんし、最後は死刑にならなかったうちのひとりのスーシィから大変なことになるんですけど、まあ、その辺はだらだら書くより観たほうが早いですね。
コミカルに書いてありますけど、割りと誰の心の中にもあることなんじゃないか、と時間が経つと思えてくるところがありました。
「自分ってこういうキャラだから」とかいうのを決め付けて、そこから抜けられず、人生の幅を狭めているっていうのは結構な人が陥ってしまうことなんではないか、と。
決め付けや思い込みで全てを決めてしまうのは、まあ本人が決めることなので別にどうでもいいことなんですけど、ただひたすらに保守的になると人間としての面白みがどんどんなくなっていきますし、寛容さもなくなっていくので、まあ、お先真っ暗な気がします。
じゃあ「自分らしさ」とかを自覚的に設定して生きていくのはよくないのかとか言う話が出てくるかも知れませんけど、どんな人生を選ぶのも全部最後は自分で責任をとるしかないので、いい、悪いとかを人に聞いても責任は取ってもらえないので、結局何が言いたいんだお前は…と言うのは、後悔を極力少なくするには人間、素直が一番、っていうのが重要な教訓なんだろうな、と失敗だらけの人生の自分としては思います。
いいこと言ったつもりで自己満足。


今回はタペ無しで。
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