10月27日(にちようび)、
阿佐ヶ谷ロフトAで開催された
「マンガワールド 其の10 のむらしんぼ&Moo.念平」に参加してきました。
この日は、本来、別の目的で関東に遠征したのですが、
「つるピカハゲ丸」&「あまいぞ!男吾」直撃世代のコロコロ読者としては
のむらしんぼ先生&Moo.念平両先生の生トークに遭遇できるとは思わぬサプライズ。
もうけたぜー!!
「マチ★アソビ前夜祭」でおなじみの阿佐ヶ谷ロフトAに初来店!!
商店街の中に普通にあって、ちょっと驚きました。
さすが、ufotableの本拠地・高円寺の隣だけあって、
しっかりと「ヨヨネネ」チラシが。
開演時間になり、司会のIKKANさん、MCのおーみまみさんによる諸注意に続き、
いよいよ、両先生が登場!!
リアルコロコロ読者だった頃からはずいぶん経つけど、
自分の記憶にあるまんまののむらしんぼ先生が登場した時はびっくり&安心しました。
Moo.先生はお顔を存じ上げていなかったのですが、
まだまだお若く、笑顔の優しい方でした。
お2人は30年来の付き合いで、
お互い、Moo.ちゃん、しんぼさんと呼び合う仲との事。
イベントの性質上、オフレコな内容が多いので、
トーク内容は簡単にダイジェストで。
まずは、お2人の漫画家になった経緯について。
Moo.念平先生(以下・M)
「子供の頃に藤子不二雄先生の洗礼を受けまして。
昔読んだ藤子漫画は大きくなっても覚えていて、辛い時に思い出すんです。
僕もそういう漫画を描きたいと思いました。
当時は良心的な児童漫画が溢れていて、
僕は将来こういう漫画を描くんだと思っていました。
大学の漫研で、周りは高橋留美子先生系の背伸びした漫画を描いてたけど、
僕だけ丸っこい絵を描いていました。」
なんと、大学時代に、小学館の取締役が九州までスカウトに来て、
大学を辞めさせて、Moo.先生をコロコロ編集部へ連れてきた、との事。
凄い話、、、、。
当時は、子供漫画を描きたいという人が少なくて、
コロコロの漫画家を探そうと全国行脚が行われていてたそうです。
そして、「九州に凄い奴がいるらしい。」という噂を聞いてスカウトされたのがMoo.先生。
全国を回って連れて来たのはMOO.先生だけだった、との事です。
M「外に出て遊ぶっていうタイプじゃなかったし、
運動も苦手だったので、
その反動でああいう漫画を描いたのかもしれないですね。」
のむらしんぼ先生(以下・の)
「『「とどろけ!一番」読んでます。』と言われて嬉しかったので
先輩面して原稿を見た時、凄すぎて天才だと思った。
俺、もうネタでやっていくしかないと思った。」
のむらしんぼ先生は、
最初、少年サンデーの新人賞に応募して、その落選作の中から
コロコロの編集部がのむら先生の応募作を拾ってデビューした、と
冗談交じりにお話されていました。
の「当時は『コロコロ?何それ。』みたいな感じで、
こんなに凄い雑誌になるとは思わなかった。
サンデーに憧れていて、
ずっと後になって、サンデーから『「ハゲ丸」を掲載したい。』という話があったらしいんだけど、
当時の編集長が、『安心したまえ。断っておいたから。』って言われました。」(笑)
その後、のむら先生が持参した、
のむら子供の頃の写真&コロコロ黎明期の先生や編集の方とのお宝写真を見ながら、
貴重な思い出トーク。
のむら先生、本当に、おもしろおかしく、よく喋られる方だな〜。
これがギャグ漫画家というものか!!
と思ってしまいました、、、。
そして、話題は、Moo.先生が今、絶賛応援中の
高知のご当地アイドル「はちきんガールズ」へwww
高知で毎年開催されている「まんが甲子園」にMoo.先生が審査員として参加した時に、
楽屋へ「はちきん」の5人が挨拶に来て、
5人が去った後、会って1、2分で
「好きになりました!!」と机に向かって告白した、との事www
M「僕がアイドルを好きになる人間だとは思わなかった。」
の「どこが決め手だったの?」
M「なんだろう。(笑)
子供の頃に特にアイドルに夢中になった事がなかったので、
一気に熱が来たのかもしれない。
歌もダンスも素晴らしいし、
高知を背負っているという姿勢もいいし。」
↓Moo.先生も参加した「はちきんガールズ」の同人誌www
あの島本和彦先生がこれを読んで、
「商業漫画より面白い!!
何やってるんだ、Moo.は!!」
と語ったそうです。(笑)
さらに、お客として来場されていた、
その現場に立ち会ったという漫画家の早瀬マサト先生が壇上に呼ばれ、生証言。
早瀬マサト先生
「今のお話は全て事実です。
自分達から見たら娘くらいの齢の女の子に
『好きになりました!!』ですよ。(笑)
人が恋する瞬間を目にしました。」
その後も、来場者が持参したipodに入っている「はちきんガールズ」の曲を
店内で流したり、ひたすら「はちきん」の布教トーク!!
こうして、第1部のほとんどは「はちきんガールズ」トークで終了!!(笑)
M「これで僕の今日の役目は終わりましたので。
ありがとうございました。」(笑)
※「はちきんガーズル」公式HP
http://www.cielo-club.com/hachikin-girls/index.htm
休憩時間、突如始まる、Moo.先生の同人誌即売会!!(笑)
「はちきんガールズ」のファンブックを含む全5冊を購入しました。
さらに、サプライズでサイン会が始まるww
M「男吾は昭和50年生まれという設定なんですよ。
何年生まれですか。」
私「53年生まれです。」
というようなお話をさせていただきました。
そうか、男吾は私の3つ年上だったのか、、、。
リアルタイムで小学5年生時代から、中学生になり、高校生になり、
小学校の先生になり、ケンカトーナメントをぶっ潰すまで読んで、
大きくなってから後追いで、「完結編」のお父さんになった男吾まで読んできた自分としては、
なんだか感慨深いものがありました、、、。
最初、サインだけと聞いていたのに、
さらさらっと、当時そのままのタッチで男吾を描いていただき、
握手もしていただけました。
さらに、のむらしんぼ先生とも握手していただけました。
「トイレに行った後だけどいいですか。」との事でしたが、
のむら先生の場合、その方が「らしくて」嬉しいです。(笑)
そして、第2部は、いよいよ漫画トーク!!
スライドを使って、
のむらしんぼ先生による「とどろけ!一番」&「つるピカハゲ丸」の
生オーディオコメンタリー!!
凄すぎるっ!!!
30年以上前に描いた漫画を見ながら
凄く楽しそうに語るしんぼ先生が見れてよかった、、、。
まずは、「とどろけ!一番」。
※画像は「熱血!コロコロ伝説」の別冊付録版。
伝説のカオス受験漫画ww
しかも、初っ端から「書けない話」www。
の「3回の連載予定だったけど、人気がでちゃって、小学校を1年留年させようって。(笑)
かあちゃんが出生届を出し忘れてた事にしました。(笑)
ライバルの常仁勝っていうのが、『俺ももう一年小学生をやる』って。(笑)
俺は、本気でいい話な〜だと思ったけど、
周りは大爆笑。」(笑)
の「当時の編集者と、『恋愛ものの受験漫画をやろう。』となって描いて行ったら
『違うな。』と言われて。(笑)
『「リンかけ(リングにかけろ)」やろう!!』って。(笑)
受験で『リンかけ』をやるんだよ。
昨日、凄いの考えた。
『答案二枚返し』って、両手で答案を書いて、
しかも逆立ちして書くの。』。
それを聞いて、『アホか!!』(笑)
『これでも小学館の編集者か!!』と。
でも、熱く語るからだんだん洗脳されて、
俺も『「四菱ハイユニ」とかどうでしょう!!
書いても書いてもすりへらない鉛筆なんです!!』って言い出して。(笑)
××××××××××××××××××(爆弾発言)。
(場内、大爆笑!!)
ここノーツイートね。
絶対つぶやかないでね。」
続いて、「つるピカハゲ丸」生オーディオコメンタリーへ。
の「『一番』の後、『男トラゴロウ』と言うのを書いたけど、
時代が変わっちゃってた、ていうのもあってうまくいかなくて。
その後も、連載がうまくいかなくて、
『一番』の時の編集者から、『4コマからもう1回スタートしないか。』
と言われて、
『1から勉強させていただきます。』と。
当時、俺、もう終わったなと思ってて。
29歳で、子供もいて。
泣きながら漫画描いてたら、ふと『ハゲ丸』って浮かんだんです。
当時は、もう田舎に帰るつもりだったから、
いろんな事を開き直って生まれたのが『ハゲ丸』なんです。
あと、『ハゲ丸』では、家族を描きたかった。
子供漫画でも、大人目線で描いてて、仲いい子との絡みだけ描いたものが多くて、
家族を描いていないものが多いんです。」
その後、「ハゲ丸」について、
最後に、のむら先生を弟のようにかわいがってくださったという
「のんきくん」等の故・方倉陽二先生との物凄くいいお話が聴けたのですが、
残念ながら、これは『絶対に書けない話』。(爆)
そして、Moo.念平先生にバトンタッチし、
「あまいぞ!男吾」生オーディオコメンタリー。
M「当時、東京に出て来て1人で漫画描いていたから、
土曜日夜7時半からの『あばれはっちゃく』が週1回の楽しみだったけど、
終わっっちゃったので、僕が続けたんです。(笑)
当時、よくこんな漫画描かせてくれたなー、と。
新人の漫画家に自由に描かせてくれた。」
1巻を描いたのが22歳の時とか、本気で凄えーーー!!
Moo.先生は、
「20年間ずっと同じ絵を描いてるので、進歩がないんです。」
と言われていましたが、
『本当に』現在も全く絵が変わってない!!!
これは凄い、、、。
M「学園漫画を描くにあたって、季節季節の行事をやろうと思って。
そうすると、毎年毎年夏休みをやる訳にいかないので、進学させたら、
5年生から始まって、すぐ6年生になったの。
コロコロって小学生読者が多かったので、
もうやめますって言ったの。」
の「なんでそこで、『とどろけ!一番』みたいに留年させようとしなかったの!?」(笑)
M「いちばん描きたかった学園漫画を2年間描けたので、
大満足だったんですよ。」
(注:読者から連載再開の声が多く届いたため、数か月後に連載再開されました。)
M「小学生漫画で女の子が出てくると、いじめられたり、そういう役回りで、
それが凄い嫌だったんですよ。
なので、ヒロインを主人公と同じくらい心理描写をしようと思った結果、
お姫を今でも好きでいてくれる人がいるんです。」
その後は、質問コーナー。
のむら先生が、小林よしのり先生や藤子・F・不二雄先生との
めちゃくちゃいいお話をいろいろ聴かせてくださって、
思わず涙腺が潤んでしましましたけど、
残念ながら、これも全部『絶対に書けない話』なんですよね、、、。(爆)
そして、最後の挨拶。
M「児童漫画が描きたくて漫画家になったので、
死ぬまで児童漫画を描き続けます。
皆さんにも是非読んでいただきたいし、
皆さんの子供にも読んでいただきたいです。」
の「(「超熱ゲームキッド!! クリエイ太」の単行本を出して)
まだ絶版になってないのでよろしくお願いします。」(笑)
こうして、合計3時間に及ぶ長丁場のトークイベントは終了!!
最後にのむらしんぼ先生&Moo.念平先生の寄せ書き色紙を描いていただきました。
(これは有料)
しかし、本当に楽しくて密度の濃いトークでした!
本当はこの後別の用事があったため、
キリのいいところで撤収しようと思っていたのですが、
あまりにもトークがおもしろすぎて、抜けるに抜けられず、
結局最後まで残ってしまいました。
のむらしんぼ、Moo.念平両先生を生で見るのは初めてだったのですが、
本当に、ハゲ田ハゲ丸と巴男吾本人にしか見えなかったですww
漫画家というのは、必ずしもご本人が作品の主人公と被るという事は無いと思うのですが、
あまりにも「漫画そのまま」の雰囲気を醸し出されていて、驚きました。
コロコロ本誌における
「ハゲ丸」の連載は1985年4月号〜1994年1月号までの8年9か月。
「男吾」は1986年3月号から、中断を挟んで1992年9月号までの6年半。
ともに、連載の初期から最終回まで読んでいました。
自分の小・中学生時代の大半を一緒に過ごした2大漫画の原作者の
今もとてもお元気そうに執筆活動を続けられている姿が見れてとても嬉しかったし、
「コロコロ」漫画は今でもちゃんと自分の血となり肉となっている事が確認できた
トークイベントでした。
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