知将・闘将と呼ばれ、阪急ブレーブスを三度日本一に導かれ、野球殿堂入りもされた、元阪急ブレーブスと日本ハムファイターズの監督だった上田利治さんから、昨日(26日)、電話がかかってきました。
監督から電話をいただいたのは、阪急が球団を身売りし、『われらブレーブス人間』を出版する時に取材をお願いして以来、二度目のことです。監督とは、その時以来、毎年、年賀状の交換だけはさせていただいていました。
今回もまた、某出版社からの依頼により、昔のプロ野球の記事を書くことになり、取材をお願いすることになったのです。幸い、今回も快く承知して下さり、日本シリーズが終わったころにお会いすることになりました。
最近は鉄道本ばかりで、プロ野球ものを書くのは久しぶりですが、どんなお話が伺えるか、今からとても楽しみです。
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