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2012年12月02日01:59

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【ヴォイチェクは戦場に行った。―戦争に行ったクマさん―】前篇

TDSで見るダッフィー誕生秘話、「マイ・フレンド・ダッフィー」とは。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=2242038
さて、今年もクマさんがそろそろ冬眠に入る季節になりました。
皆さんは、『熊のヴォイテク』 の話はご存知だろうか?
夏頃、NHKの教育ETV『地球ドラマチック』でドキュメンタリー映画がONAIRされたので、
見た人もいるかも知れない。
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http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/277.html

今年は2月に秋田のクマ牧場で痛ましい事件があったが、本来熊は非常に頭の良い
動物である。秋田のように飢えさせたりしないで愛情深く飼育すれば、本来犬以上に
懐き、賢く役に立つのだという。

戦争中、日本が上野動物動物園の熊さんやら、象のトンキーや花子さんを殺していた頃、
欧州戦線ではクマさんは人間とともに戦場に行き、大いに戦功を挙げ国に貢献していました。
そう、その熊は戦争に行き、人間とともに戦ったのでした。

ちょうど、今日から50年前のお話です。


グッド(上向き矢印)Vanessa Mae - 『 I'm a Doun For Lack of Johnnie』 : A little scottish fantasy】

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【ヴォイテク】(ポーランド語: Wojtek.ヴォージェクもしくはヴォイチェク)1942年 - 1963年12月2日)は、
ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊所属の茶色シリアヒグマ。
連合軍における正式階級は伍長。
モンテ・カッシーノの戦いにおいて、ヴォイテクは弾薬運搬作業に尽力しました。

★ドキュメンタリー映画 
『ヴォイテク、戦争に行ったクマ Wojtek, niedźwiedź, który poszedł na wojnę』 
2011年製作より
http://www.wojtekfilm.com/large/index.html

【ヴォイテク伍長殿の軍歴】

第二次世界大戦中、ポーランド軍にクマが、それも短期間ながら一時は2頭も従軍していたことを知る人は少ない。ヴォイテクとミシェク。重要な方はヴォイテクという名で、このクマがポーランドの連合国軍アンデルス Anders軍に所属するに至ったいきさつについては2つの説がある。
1つはこうだ。1942年、ロシアの強制収容所や監獄から出てペルシャへ撤退したポーランド人兵士らは、ハマダーンという町の近くの山地に一時とどまった。そこで缶詰1個と引き替えに腹を空かせたペルシャ人の少年から子グマを買ったというもの。

またもう一つは1942年、イランのハマダーン付近で、現地の少年が親を亡くしたクマの赤ん坊を発見しました。少年はそれを肉の缶詰2、3個程と引き換えにポーランド人難民に譲渡しましたが、まもなく難民の一行の手には余るようになり、近くに駐屯していたポーランド陸軍に引き取られとというもの。
そのクマは1歳にも満たず、当初の問題はコンデンスミルクを空のウォッカの瓶に入れて飲ませる事でした。彼はその後 「ヴォイテク」 と名付けられました。

幼いヴォイテクは始めのうちは食べ物をうまくのみ込むことができず、兵士たちは薄めたコンデンスミルクをハンカチに染み込ませ、ウォッカ瓶に入れて飲ませました。その時のウォッカ瓶に数滴残っていたアルコールがミルクに混ざったため、その後ヴォイテクはお酒(特にビール)を好むようになったのでは?と兵士たちは後に考えるようになったとのことです。ちなみにビールのほかにタバコも大好物という、いかにも軍人らしい好みのヴォイテクですが、タバコは吸うのではなく食べるのが好きだったとのことで、なぜか火のついたタバコでないと興味を示さなかったようです。

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「ヴォイテク」はポーランドの一般的な男性名「ヴォイチェフ」の愛称形であるが、もとの「ヴォイチェフ」の原義は「戦士」「武人」である。彼は兵士や一般人らの注目を集め、間もなく付近に駐屯していた全部隊の非公式のマスコットとなりました。そのおかげでポーランド陸軍に正式に徴兵され、ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に配属され、ヴォイテクは二等兵になりました。ヴォイテク二等兵は、部隊とともにイラクに移動し、シリア、パレスチナやエジプトを経由して、後に激戦の地、南イタリアに入ったのでした。

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グッド(上向き矢印)砲弾を担ぐヴォイテク - 第22輸送中隊の車両用ペイント】

イランからイラク、パレスチナ、シリアを経てエジプトへ、中隊とともに進軍するうちにすくすくと成長し、兵士たちに良く懐くようになったヴォイテク。食事は果物やマーマレード、ハチミツやシロップなどを与え、寝る場所に関しては小さいうちは毛布や軍服にくるんで添い寝し、体が大きくなるのに合わせてバスタブやトランクでベッドを作ってあげました。しかし、甘えん坊のヴォイテクは兵士たちと一緒に眠ることを好み、時には夜の間にテントで就寝中の兵士に寄り添い、添い寝して朝になって顔をなめて起こし、びっくりさせることもあったそうです。兵士たちは、朝ヴォイテクの涎で頭がドロドロになっていても誰一人文句も言わず、熊のヴォイテク二等兵を可愛がりました。
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あるとき兵士たちとの遊びに退屈したヴォイテクは、中隊長である中尉殿のテントに入りこみ、中尉殿の野戦ベッドに横になり寝入ってしまいました。夜遅くカジノでいささか飲んでから戻った中尉が寝ようとしたところ、ギャぁぁぁと、宿営地全体が恐ろしい叫び声で起こされたたのです。テントの一方からは唸り声を上げて驚いたクマが駆け出し、もう一方からはズボン下姿の中尉が飛び出した。もちろんどちらも何ともなかったので事なきをえましたw

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ヴォイテクは兵士たちとレスリングをして遊ぶのが大好きで取っ組み合いをしたりボクシングをしたりした。その際、人を傷つけたことは一度もなかったと云います。時にはわざと兵士に勝たせることもありました。
果物やマーマレード、ハチミツ、そしてシロップの食事の他、時々ご褒美として、最も好んでいたビールを貰っていました。瓶ビールをもらうと、まずうれしそうに匂いを嗅ぎ、ガラスを舐めてから、仰向けに横になり、両前肢に瓶を持ち、口に当てて飲み干した。最後に目を細めて中をのぞいた。ビールを飲んだあとは千鳥足になることもありました。
またタバコも好んで嗜なみました。ただし、吸うのではなく、食べたといいいます。それも火の着いたタバコしか食べなかったそうです。

ヴォイテクは自動車に乗るのが大好きだったので、ときおり運転席にまでもぐりこむことがありました。そこから追い出されると、トラックの荷台に乗り、運転席の屋根につかまって、ときどき運転席をたたいたものでした。アラブ人たち、とりわけ子どもたちは、この光景を見ると遠くへ逃げ出したと云います。

ヴォイテクは泳いだり水遊びをするのも好きで、夏にはシャワーを使うことも覚えたそうです。ある夏の暑い日に中隊のシャワー小屋のドアが少し開いてるのを見つけたヴォイテクがすかさず水浴びをしようと近づいたところ、アラブ人のスパイを発見しました。

ある日、まだ夜が明けきらぬ頃、宿営地全体がまたも恐ろしい叫び声で飛び起きました。兵士たちが声の聞こえた方へ駆けつけると、浴場に少しおびえたヴォイテクがいました。その向かいには大きなクマを目にして死ぬほどおびえきったアラブ人がいた。こいつは兵士たちの武器を盗もうと浴場に隠れていたスパイであり泥棒でした。突然のクマの登場に驚いたスパイがすべてを白状したことによって奇襲を計画していた敵を捕らえることにつながり、ヴォイテクは功績を認められ、ご褒美にビールを2瓶与えられ、水遊びを楽しんだとのことです。
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1944年に中隊がイタリアへ配置された際、ヴォイテクを連れていくには兵士として登録する必要がありました。ヴォイテクは正式に名前と番号、階級を登録され、第22弾薬補給中隊の一員としてアレクサンドリア港から船に乗り、ローマ解放のためのモンテ・カッシーノの戦いへと向かいます。

正式に「兵士」として従軍した彼は、上等兵に昇進w 他の兵士とともにテントで眠り、特別製の木枠に入ってトラックで移動した。多くの証言によれば、モンテ・カッシーノの戦いにおいて部隊の一員として弾薬を運び、決して弾薬箱を落とすことは無かったといいいます。
敬礼をすることも覚え、ひとりぼっちにされると「かまって」と鳴いたり、しかられると目元を前足で隠すなど、人間と長く暮らすうちに人間っぽいしぐさもするようになりました。

小さいころから人間と一緒に寝食を共にし、役割を与えられたクマは
ポーランド語を覚えポーランドの歌で踊り、本当に人間のように扱われたといいます。
また、ポーランド語以外では命令を聞かなかったとも言われています。

【ヴォイテクは気は優しくて、力持ち!】
従軍中にたくさんの友人を作ったヴォイテクですが、その交友関係は人間だけにとどまらず、イギリスの連絡将校が飼っていたダルメシアンなどとも仲良くなり、転がりまわって遊んでは兵士たちをなごませたそうです。しかし、馬とだけは相性が悪かったようで、イランの村で野営中に放牧されている馬に近寄ったところ、おびえた馬に頭や首をけられてしまい、その後の行軍では馬やロバにだけは一切近寄ろうとしなかった、というエピソードもあります。
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イタリアで初めて本格的な戦闘を目の当たりにしたヴォイテクですが、前線の激しい砲火の音にもすぐに慣れ、木に登って遠くの爆発を眺めることもあったそうです。
また、動体視力、聴覚、嗅覚に優れたボイチェクは度々敵機来襲を告げ部隊を助けたといいます。見事な哨戒・索敵活動です。

ある日、輸送車に弾薬や燃料、食糧などを積み込んだり積み下ろしたりを繰り返す兵士たちを見て、ヴォイテクは2本足で立ち上がると「僕にも何か運ばせて」というように前足を差し出して車両から荷を降ろす兵士に近づき、そのまま2本足で重い弾薬の箱をトラックまで運んで積み替えると、また「次は何を運べばいいんだい?」というように戻ってきたそうです。その後は毎日熱心に弾薬の積み替えを手伝うようになったと云うのです。兵士4人で運ばねばならなかった箱をヴォイテクは1人で運んだと云います。
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さて、モンテ・カッシーノの戦いと言えば、勇猛果敢さで名を馳せる日系442部隊も参加した大激戦で、人間すら恐怖で慄く銃弾雨アラレと飛び交う中、熊のヴォイチェクは、一生懸命銃弾の箱を抱え、陣地である塹壕から、別の味方の待つ塹壕へと命懸けで走りました。

ヴォイテクの人気と功績を認め、司令部は「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を第22中隊の公式シンボルとすることを承認した(その時までに、中隊は第22輸送中隊に改称された)。 ポーランド人とともに勇敢にナチスドイツと戦ったヴォイテクはその功を認められ最後は下士官であるヴォイテク伍長殿にまで昇進しました。



【ヴォイチェクは戦場に行った。―戦争に行ったクマさん―】後編に続く
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 ___ヽ       /ヽノ   └-┘ ┴     ..└┘    . ̄
      | ___ iそうだよな。いきなり銃向けられるって、どこのスラム街だよって話だよな


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