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2012年06月27日13:57

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神慈秀明会の信者らの体制変化に対する動向

過激ともいえる旧体制の思想と活動が一掃され、新体制に変わったことに対して、旧体制時代を生きてきた信者らの心境は複雑であり、その反応や行動も様々であった。この項では、新体制に対する信者らの様々な心境や反応を列記する。
旧体制下では非常に明確だった教団の活動方針は、新体制下では非常に不明確であり、特に熱心だった信者ほど信仰的な活動の方向性を見失い、いまだに困惑している者も多い。旧体制時代、「自己放棄」などの過激な活動を積極的に行い、多くの被害者を出したとされる、神慈秀明会の中でも比較的大きな支部が存在したが、旧体制の社会問題は、この支部だけが勝手に行ったことであり、神慈秀明会の大部分は無関係で、非難されるべき道理は無いと考える者が多い。ただし、旧体制時代は、自己放棄などの過激な活動を行わないと、とうてい達成不可能な高い目標(ノルマ)を各拠点が立てており、実際に過激な活動を行った拠点が目標を達成できていた。どのような方法で目標を達成できたのかに関わらず、結果的に目標達成が出来た数少ない拠点が、年末の祭典で会主小山美秀子から絶賛されてきたという事実は、当時の神慈秀明会の方向性が目標、結果至上主義であり、目標達成のためなら手段を問わず、結果的に自己放棄などの過激な活動を、会をあげて推奨していた姿であったと言える。
旧体制の過激な布教姿勢を好む信者の中に、現在の穏便な新体制を不満とする者もいる。そのような者は、旧体制こそ神慈秀明会の本来の姿であり、新体制は一時的なものにすぎず、いつか旧体制の活動が復活するものと考えている。信者の中には、旧体制の数々の所業を悪であると認識しつつも、それは、その時代に必要であった経綸(神の計画)の一部として通らざるを得なかった必要悪であったと理解している者もいる。この考え方は、信者が旧体制というものを理解する上で、信者間においてかなり定着した考え方である。
ただし、神慈秀明会自体から、この思想が正式見解として公表されたわけではない。本来、「旧体制は経綸であった」とする思想は、後述する離脱の神意と同レベルにおいても良いほどの、重大な教義の追加、変更であるといえる。
通常、宗教というものの性質により、そのような重大な教義の変更が教団の正式発表無しに行われるということは起こりうるものではないが、そのような重大な思想が、教団の正式発表無く噂と同じレベルで信者内に流通しているのが現状である。また、この考え方はそれまで教えられてきた教義との間に、さらなる矛盾や疑問点を多数生み出すことになる。たとえば、なぜ旧体制があったのか、なぜ信者は後に教団自体にすら否定されるような活動を、長年にわたりさせられたのかというようなことが当然な疑問として起こりうるが、それらの回答が信者間に流通している様子はない。
すなわち、この考え方は、旧体制というものをなんとか正当化して理解しようとする信者たちの苦肉の策による自発的かつ場当たり的な発案が信者間に流通しているにすぎず、神慈秀明会の公式見解ではないばかりか、旧体制の疑問を解決するどころではなく、ますます疑問を増加させている。そうであることに気づいていない信者は多い。
旧体制時代に、旧体制の社会問題的一面への批判を認めず、正当化していた信者と同じ信者が、新体制になると、まるで旧体制時代の自分の言動を忘れてしまったかのように旧体制の批判を行い、新体制になった神慈秀明会を高く評価しはじめた、という現象が随所に見られる。これは、教団が新体制になるに伴い、教団自身が旧体制を公に批判したことにより、教団の方針、すなわち教義上の「旧体制批判の解禁」を得たことになるので、それらの信者もそれに追従したためであると考えられる。一見、自己反省的で自己批判的に見える、信者による旧体制批判の行動の本質は、教団が暗黙的に旧体制を批判している状況に対する無条件的追従の一種にすぎないと言えるだろう。
後述する離脱の神意の教義に基づき、神慈秀明会では世界救世教系の他教団との接触や、神慈秀明会が提供していない教祖の教義の研究などは禁止されており、新体制となってもその教団の方針が変わったわけではないが、信者らの中にはその禁を破り、他教団への接触をする者や、他教団に改宗などをする者が増えてきている。その背景には、インターフェイスという教義の採用、インターネットの台頭による情報の流通、教祖の教義と神慈秀明会の方針との大幅な矛盾の発覚、離脱の神意の教義の重大な虚偽の発覚などがある。
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