どうもこのごろ夜中にどこかと繋がってしまうようで、
これを書かないとゆっくり寝かせてもらえないようなので、書きますね。
以前も紹介したのだけど、
http://ncode.syosetu.com/n9876h/17/ より
お花畑ストの
"「すべては神さまの愛(キラキラ」とか「悪なんて本当は存在しない(キラキラ」とか言って
何でもかんでも肯定的に捉えるのは危険なんですよ。もっかいドロドロの世界に戻すよ?
「否定すべきもの」を「否定すべきもの」のまま「肯定」すると、血の雨が降るよ?
「否定すべきもの」を「肯定」したかったら、
「否定すべきもの」に自分から死ぬ気で働きかけて
「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせるしかないだろうが常考。 "
を伝えなさいって指令があったようです。
すべてを受け容れてから肯定するのなら良いのですが、目を背けたまま肯定するのはやめてくださいね。
どうせアセンション後には人の考えてる事なんて丸分かりになっちゃって、真実を目の前に突きつけられるのだから、その時に精神崩壊しないよう
エゴのおもりあいの幻想の世界から早く抜け出して
新しい真実の世界に生きるようにしてください。
特に私のマイミクさんにはスターシードが多いようなので、以前も紹介したけど、
http://www.wao.jpn.org/wao/message1201.shtml#m02
第2章 02 緊急メッセージ を読んでください。
私たちの責任が問われています。
スターシードは地球人をひっぱっていくために生まれてきたようなので
せっかくこの時代にこの世界に生まれてきたのに、目を塞いだまま終らないようにしてくださいね
先ほどの
http://ncode.syosetu.com/n9876h/17/はあの部分だけだと誤解を招くので、詳しく読んだ方が良いから、念のため下記に全文転載します。
善悪の概念
『善悪の概念』
これは日月だけではなく、「シルバーバーチ」や「神との対話」にも書かれていることですが
ある事象に対する「悪い」とか「間違っている」とか「劣っている」とかいう「否定」の概念は、
本来の神さん(これは正真正銘の宇宙を作った神)にはないということです。
なぜなら宇宙の全てが神さんの分身であり、神さん自身なので、自分で自分を否定するようなことは、できないとのこと。
しかし私たちから見れば、明らかに「悪いこと」や「醜いもの」、「不快な奴」や「極悪人」だっていますよ。これはどういうこと???
実は「善悪」や「明暗」に代表される、二極化や相対性というのは、もともとは存在しなかったのだけど、
みんなが楽しめるようにと思って、わざわざ神さんが作ってくれたものなんだそうです。
二極化ができる前の宇宙は、旧劇場版エヴァンゲリオンのラストのように、
みんなが一緒くたのドロドロで区別がなく、個性も進化も無い不毛な世界で、非常につまらなかったそうです。
そこで私らの魂の祖先が「こんなのつまんなーい!」と神さんに抗議したところ、
「よしよし」と言って作ってくれたのが、今日の二極化の世界であるということです。
二極化を作ったことで、はじめて「個」や「美」や「感動」が生まれたんですねぇ。
しかし世界を二極化させたことで、あるルールが生まれました。
ものごとを相対的でしか把握できなくなるというものです。
上を知るためには下を知る必要がある。右を知るためには左を知る必要がある。
暑さを知るためには寒さを知る必要がある。美しさを知るためには醜さを知る必要がある。
喜びを知るためには悲しみを知る必要がある。善を知るためには悪を知る必要がある。
こんなぐあいに。
こうして「否定」が生まれたわけです。
つまり「否定」は我々が経験して楽しんで、進化していくための不可抗力のようなもんです。
そんなわけで本来、我々はこの二極化の世界を大いに楽しむべきなんですが、
どうも近ごろのお花畑ストどもは、嫌に「光」や「洗練」や「肯定」や「完全」など、「+」にばかり固執しているように思います。
本来なら「闇」や「複雑」や「否定」や「あいまい」など、「−」も一緒に楽しむべきなんですよ。
お化け屋敷やジェットコースター怖いけどおもしろいでしょ?私?無理ですがなにか。
最近では、
・二極化を楽しめる人=アセンション可
・二極化に文句ばかり言う、もしくは片方ばかりに固執する人=アセンション不可
ではないかとさえ思ってます。
「神との対話」の方には
『最大の悪は、この世に悪など存在しないと決め付けることだ』とはっきり書いてあります。
だから「すべては神さまの愛(キラキラ」とか「悪なんて本当は存在しない(キラキラ」とか言って
何でもかんでも肯定的に捉えるのは危険なんですよ。もっかいドロドロの世界に戻すよ?
確かに日月も「神との対話」も、『悪を憎むことは間違っている』とは言ってますが、
『悪を認識することは間違っている』とは言っていません。『悪を善だと思い込め』だなんて一つも言ってません。
悪は悪と認識した上で、「ゆるす」もしくは「抱き参らせる」ことが大事だと言ってるんです。
そうじゃなきゃ修行にならないので、生まれてきた意味がないですよ(`・ω・´)
ちなみに「抱き参らせる」ってのは「否定すべきもの」に働きかけて性質を変えさせ
「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせるってことじゃないかな?
「否定すべきもの」を「否定すべきもの」のまま「肯定」すると、血の雨が降るよ?
「否定すべきもの」を「肯定」したかったら、
「否定すべきもの」に自分から死ぬ気で働きかけて
「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせるしかないだろうが常考。
あとこれは自論なんですが、神さんの唯一の欠点を挙げるとしたら、それは「否定」ができないことです。
だったら神さんにできない「否定」を代わりにやるのが、我々の仕事でもあるんじゃないでしょうか?
我々の仕事は「否定すべきもの」を発見して「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせること。
そして「否定の存在」を「肯定」すること。
以上、自論失礼しました。
転載ここまで
2016年4月7日追記:久しぶりにこの日記を見つけ、途中までは今現在でも ものすごく納得したのですが、実体験から『抱き参らせて』実際に現実を変えられてから、
『ちなみに「抱き参らせる」ってのは「否定すべきもの」に働きかけて性質を変えさせ
「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせるってことじゃないかな?
「否定すべきもの」に自分から死ぬ気で働きかけて 「肯定すべきもの」にシフトチェンジさせるしかないだろうが常考。 』
の部分はこの人の意見として(元記事もすでに削除されちゃっててもったいないから)削除はせずにおきますが、(多分この人も『受け取った情報は確かだったけど、マインドで変換しちゃってうまく書き表せなかったんだ』と感じました)
私の実体験からの検証を元にすると、(目の前に起きている事象に適切に対応する事は必要ですが)
『他の人の事(外側)は無理に変えようとなんてしなくても、自分自身(の内側)が変わりさえすれば、自動的に周り(の人間)も変わる』
のも、実体験から実際に目の前で別れた夫が変わったので、検証できたから、残して置こうと思いました☆
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