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2011年03月04日00:06

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1993年か94年ごろ教えていました

■「実力あったはずなのに…」予備校仲間ら戸惑い
(読売新聞 - 03月03日 16:56)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1522319&media_id=20

古いことなので記憶が定かではないのだが、1987年から河合塾の講師をしていた関係で、仙台にも教えに行っていた。
仙台の地方予備校だった文理予備校が河合塾と提携して「河合塾文理」になった時期で、河合塾から派遣されたということになる(契約関係はどうなっていたのかわからない)。
当時はいろいろあって、勤務態度きわめて不良だったので迷惑をかけたような気がする。あらためて、申し訳ありませんでした。
提携とは言え、河合塾という企業は極めて高圧的な商売をするところで、すでに吸収の方向は見えていた。
その後、名前も河合塾仙台校となり完全に河合塾の一地方校になったようである。
もともと東北地方では予備校といえばまずは文理というイメージがあったほどで、知名度は高かった。
山形の高校生が浪人して(志望校がどこであれ)選択するのはごく自然だったろう。
(ただ、京大志望というのはかなりめずらしい)
知恵袋の質問を一通り見て感じたのだが、それほど周到な本番への準備をしていたというよりは、わからないことはとりあえず聞いてしまおうという習慣と化していたような印象が強い。
習慣があまりにも強固なものになっていたので、受験においても手放せなかっただけではないのだろうか?
知恵袋の回答と酷似した答案を実際に書いていたという京大筋からの情報が事実なら、この受験生の学力はあまり高くない。
取捨選択ができていないということだからね。
センターで85%に届いていないそうだが、特に失敗したというよりはそれが本来の実力を正確に反映していたのだろうと思う。
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