終映せまるチネチッタで鑑賞しました。
http://amagasa.gaga.ne.jp/
冒頭部、真っ赤なジャージに身を包むチャーシュー、もとい、カトリーヌ・ドヌーヴの早朝ランニングという、眩暈を覚える毒気にあてられ、うっかり、正常な判断力を失ってしまいそうになりました。
しかも、ランニングにひき続いてのクールダウン中に、彼女が森の小動物と戯れる様の、すっかり気分は白雪姫。
このあたり、脳内イメージと外見のギャップというベタな笑いが小気味良く、その後もめくるめくように展開が変わるたび、次々と繰り出されるジャブが面白いようにクリーンヒットしてきて、すっかり、オゾン監督のくすぐり戦術に取り込まれてしまいました。
この作品、一見、白雪姫に代表される従来型のディズニーヒロインが、社会的な自立の過程を経て、『アリエル』や『ポカホンタス』といった現代的ヒロイン像に変異していく成長物語のように思えます。
しかし、その実体は、彼女自身の隠されていた本質部分が些細なきっかけで露呈していくということに過ぎず、もっと言葉を変えれば、『隠すことをやめて、正直に生きる』ことを高らかに宣言してしまうという、年齢性別ボーダーレスの人生賛歌なのでした。
その結果として、この作品の標的になっているのは、従来型の『女らしさ』に代表される常識的とされる感覚、保守的な価値観。
そして、この作品では、意識的に本音と建前の垣根を取り払い、人生のオモテもウラも分け隔てなく平等に扱うことで、本来あるべき意味での平等/同権を描ききっているところに潔さを感じました。
例えば、世間で言うところの『浮気は男の特権』という言葉の裏には、やんわりと『女性のそれは恥ずべきだ』というメッセージがあるわけで、オゾン監督は、そこに真っ向からぶつかって、粉々に破壊してみせる訳です。
『男がすることは、女もする』し、『男が許されるなら、女も許される』。
『伝統による束縛をなくさない限り、平等なんてないんだよ』、と。
ラストは、思いっきりのカメラ目線で熱愛ビームをふりまくドヌーヴに、すっかり気持ちよく胸焼けしてしまったのを含めて、終始、完璧な横綱相撲で寄り切られた気分。
思えば、冒頭部のウサギさんが、最大・最強の伏線だったとは…
オゾン監督、あんたも好きねェw
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