8月26日
事故が起こった17日はこの辺はすごい嵐で、私はそれがおさまってからまた降り出した小雨の中を帰ったのですが、虫の知らせというか、その日の夜、家族のお気に入りだったサングラスが突然壊れたそうです。
皆さんはそんな虫の知らせとか感じたことはありますか?
私は全くありませんなあ・・・
若い男性が何人か入院してきて、爺さん相手よりも看護師さんの声が弾んでるように聞こえるのは気のせいだろうか?^^;
今回両手の指が無傷だったのは奇跡だと思う。
無意識に自分で守ったのだろうか?
体のパーツの中で保険掛けるとしたら一番高い部分だもんね。
また、ギターもピアノも弾けるし、もちろんPCのキーボードもバッチリ打てる。
午前中だけでちゃっちゃと病院へ戻りました。
主治医の先生とバッティングして「あれ、またどっか行ってたの?、病人とは思えないね」と言われてしまいました^^;
すみません。重症患者であることは自覚しております。なにしろ頭蓋骨割れてますからね^^;
今日は耳鼻科の検診です。
またエロ話に脱線してすみません^^;
外を歩くと一時間に一回くらいツンパが拝めますな、ハッハッハッハッ・・・
元気の素なんでいいよね^^;
しかし今年の外は暑っついなあ・・・
耳鼻科の検診終わりました。
副鼻腔内の分泌物を吸い取られると気持ち悪いし痛いでがんす。
耳鼻咽喉科はもう勘弁という感じ^^;
口も少し開いてきたし、特に異常はないという感じです。
まだ神経の異常はありますけどね・・・
口がちゃんと開いて、骨がくっついて、神経関係元に戻るまで時々外来で来させられて体液吸い取られるのかな・・・は〜あ(ー ー;)
色々と書類が動き出しましたが、結構やりとりが複雑で面倒なようです。
なんか病院に勤めてる気分になってきました^^;
あとは退院のキーになるのは頭の写真の経過だよなー・・・
なんか入院させようと思ったらいつまででもできそうな気もするし、かといって早々退院させて何か起こったらそれはそれで大変だもんね。
確率的に、これくらい入院した後は突発的な症状はほとんど出ないという期間があるんだろうな。
それまでは出してもらえないね。
普段こんな大病院に関わることはほとんどありませんから、今回は自分の体を使って医を研究するチャンスかもしれません。
思えば子供の頃、自分が住んでいた市内の親戚はお医者さん関係が多かったんです。
特に親父の兄は結構な名士で(甥としては何も知りませんでしたが)個人で病院をやっていました。
病院スタッフのための大きな食堂があったり看護師(当時は看護婦)さんも結構いたようなイメージがあります。
風邪をひいたりすると連れていかれて注射打たれたりしてました。(このころ使われてた注射薬や、例の予防接種の回し打ちによる肝炎感染なんかの話は、また別の機会に詳しく書こうかと思います)
診察室には気持ちの悪い標本や、医学イラストが掲示されていて結構怖かったですね。
生キャラメルで有名な例の北海道のタレントを取り上げたのは(赤ん坊)どうもうちの叔父らしいです。
昭和のおじさん達はみんな結構怖かったですけど、厳しかったうちの親父が更にビビるくらい厳しい感じの人だったイメージがあります。
叔父は私が中学生の時に糖尿病で亡くなりました。
葬式には観光バス連ねて多くの人がやって来たのには驚きました。そういえば忌引きの許可もらいに職員室行ったら、中学校の先生たちも叔父の名前は知ってたっけ(お前の伯父さんなんだと驚かれたのを覚えてます)。
中学生の頃は、人の死で悲しくなったり涙が出たりということはまだなかったなあ・・・
葬式ですすり泣く人たちを見て、その頃は「ふーん」という感じでしたね。悲しそうなふりしてたというか・・・
人の悲しみとか涙というのは経験で増えていくものなんですね。今は何でも泣けます^^;
私も医者になろうかと思っていた頃もあったのですが、もし叔父がもっと生きていたら私も医者になっていたかもしれません。
今頃ここの病院で働いていたかも・・・
さて、過去の話はぼちぼちとして、まあできる限り、大病院のシステムとかその他いろいろね、看護師さんと仲良くなればもっと深い話も聞けるかも・・・で研究したいと思います。
当分力仕事はできそうにないから、昔取った杵柄で携帯小説でも書いてみるか・・・書くのはPCだけどね^^;
8月27日
今日は朝から検尿&採血です。
もう腕は穴だらけですわ(笑)
病院の食事にもやっと慣れ、毎回残さず食べるようになりました。
院内をフラフラしていたら、身長計と体重計(デジタル)を発見。ちょっと計ってみたら、身長は高校卒業した時と変って無いんですね^^;
体重はうちのボロボロのヘルスメーターで測るより+2kgくらいありました。体重減りすぎで焦ってた時も実はそうでもなかったのね^^;
CT検査に呼ばれました。今日は色々ありますね。
朝身長をはかると1cmくらい大きいですね。若い頃と変んないな^^;
もし社会と関わって生きるなら(普通の人はそうですけどね)、それなりのリスクヘッジをしておかなければと考えていました。
今回はそのリスクヘッジが功を奏した結果となりました。
まあ、今回仕事へ行かなければ事故ることもなかったわけですが、収入はともかく、最低限の社会的保険とコンプライアンスを実現できていることを条件に仕事を選びました。
それでも結果が出るまでは不安がありましたが、結局医療費負担のリスクは回避することができました。
これが有ると無いでは天と地の差がありますからね。
CTの結果ですが、脳内の出血は消えてきたとのことです。
あとは、年齢がある程度行っているとしばらくしてから古い血が溜まってきたりすることがあるので、それを観察していけば大丈夫とのことです。
全体落ち着きましたね。
意外と強かった自分の蘇生能力。適切に処置してくれた病院・医師・看護師さんに感謝です。m(_ _)m
あとその他もろもろの病院のスタッフや、薬を製造している人たちにもね v(*^^*)
書類の申請関係もありがとうございました。
もちろん、迷惑かけたうちの家族にも感謝です。
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