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2010年08月03日01:10

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本人はもちろん悪いが、周囲は?

2児放置死、遺体確認後に電話
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1295934&media_id=2

このヤンママがどうしようもないアホだということは議論の余地はない。どんな理由があれ、将来ある2人の子供の命を奪う権利など、たとえ親だって持っていないからである。

ニュースを読んでいると、やれホストに狂っていたとか、クラブ等で遊び倒していたとか書かれている。母親としての責務よりも、遊びたい自分を優先してしまったのだろう。

だが一連のニュースを読んでいて解せないのは、子供たちの父親がどこで何をしていたのかということである。当然、子供は母親だけでは作れないし、離婚したとはいえ、親子の縁は切れない。一緒に住んではいないとはいえ、定期的に子供たちと会うとか、電話で話をするとか、何らかの接点を継続的に持つ努力を払っておれば、最悪の事態は避けられたのではないか。父親も母親同様にどうしようもないアホだったのか。

またこのヤンママの親は、三重県四日市にいるらしいが、孫が死体で発見されるまで、何も気になるような兆候は認められなかったのか。単に鈍感で本来感じ取るべき兆候を感じ取れなかった、あるいは娘と孫の窮状をわかっていながら、見て見ぬふりをしていたということはなかったのか。四日市と大阪であれば、その気があれば、すぐに様子を見に行くことだってできたはずである。

子育てというものは、傍目に見る以上に体力もかかるし、精神的なストレスも大きいものである。シングル・マザーであれば尚更であろう。若いし、たまには息抜きだってしたいであろう。そういうことを周囲は察してやることはできなかったのだろうかと不思議でならない。
もっとはっきりといえば、このヤンママがだんだんと煮詰まっていく状況が周囲の連中たちにもよく見えていたにも拘わらず、コミットするのが嫌で、知らぬ存ぜぬを決め込んでいたというのが実態ではなかったのか。

今より共同体意識が濃厚だった昔の社会であれば、子育てというものは地域社会全体の課題であるという意識が現代社会よりも強烈であったはずだし、そうした包摂性の高い社会であれば、今回のヤンママもここまで追い詰められずに済んだのではないか。

今回の事件でヤンママを責めるのは容易いと思うが、その前に、我々は現代社会の特に都市部の人間関係の空疎さについてもっと危機感というか空恐ろしさを感じるべきなんじゃないかと思う。
だいたい今回の事件もそうだが、とっくに死んだ老人に隣近所も含めて誰も疑念を差し挟むことなく、30年以上も年金を払い続けているような社会が正常にワークしているとは到底いえないだろう。どこか人間関係がぶっ壊れてしまっているように思えてならない。
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