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2010年07月13日02:31

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不可視関数試論

- 本日、「不可視関数試論(カンタン・アブストラクト)」が蒲郡情報ネットワークセンター・生命の海科学館から、篠山チルドレンズミュージアムへ移設されます。トラックでの引越だそうです。本作は1996年に制作され当時最新のスペックでしたがそこは機械の宿命、今日ではすでにオールドファッション的な懐かしささえかもし出しているかと思います。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-02.html#20070226
- 僕にとって1996年は「バカCG」期の最後の年に当たり、デジタルネンドの開発と発売、三次元ビットマップ関連の特許出願に走った年でした。つまり、それまでイラストレーターという肩書で活動してきたポストモダニズム的な信念が痛みとともにガラガラと崩れ去るのをどうすることもできなかった年であり、それまでの自分の活動を全否定して翌1997年から保守反動的モダニズムの自覚のもと方法主義へと作風を変え美術家を名乗ることとなるという未来を知る由もなく、毎日が苦しかったのを記憶しています。本作「不可視関数試論(カンタン・アブストラクト)」にはその移行期の状態がいろんな意味でとても面白く注入されているように、今からは思えます。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-02.html#20070227
- たとえば、インタラクティブ作品としての本作ではLINGOというプログラミング言語で僕が全てのプログラムを書いているのですが、プログラムで動かす画像やプログラムで鳴らす音よりも、プログラムのコードそれ自体のほうが自分にとって作品だと思えてしまいました。それが、のちに方法主義や芸術特許というイデア優位主義に結実することになります。あるいはこの作品全体は、言語におけるシニフィアンとシニフィエの恣意性がコンピュータにおいても本質であるというような考えから作られているのですが、そこからたとえば文字からシニフィエをはぎとって方法絵画や方法音楽とするような発想が生まれていたり、つまり文字座標型絵画の原型や五十音ポリフォニーの原型が本作に入っていたりします。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-01.html#20070112
- と言いつつも実際に出てくる画像はバカCGの集大成的なもの、あるいは実際に出てくる音はバカSoundEdit音響の集大成的なものだったりもして、表面的には単純に馬鹿馬鹿しくくだらない面白いものとして制作されています。さらに、単語レベルに分解された言葉や造語に対する興味も多大に本作には詰め込まれているのですが、もうひとつ言っておくとするなら、言葉と画像と音を全く等価に同時に扱うという真のマルチメディアが本作では実践されており、この感覚に対する信頼から、他ジャンルに対する排他性に拠って立つアナログ時代のフォーマリズムに対する違和感が演繹され、デジタル時代においては、他ジャンルに対する排他性ではない並立性に拠って立つモダニズムとして、方法主義(方法絵画、方法詩、方法音楽)をその後主張していくことになったというわけでもあります。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-01.html#20070109
- さらに本作は、1996年12月に名古屋にオープンしたナディア・パークのアートピア「体験の場」に納入されるため、ある程度お題を与えられ作ったものだったので、受注芸術つまりイラストレーション的な側面をもっています。しかしその一方では、クライアントの意向より表現者の自己表現であるという確乎たる作品のつもりも強かったので、純粋美術の側面もあわせもっていました。で、そこのところで生まれるジレンマとして、(石井香絵著「中ザワヒデキの美術」にもあるとおり)「実用的な意味では役立たないもの」が淘汰されないためには「芸術という権威で護られる」やりかたと「とりあえず子どものオモチャとして役立つ」やりかたのふたつがありますが、本作はとりあえず後者の道筋をたどってしまったのです。本作は子どものために作ったというよりはオトナのためあるいは自分自身の芸術追究のために作ったものでありながらも、僕が1996年まではイラストレーターを肩書とし美術に対してはアンチの姿勢をとっていたということもあり、子ども向けのオモチャとみなされ、その意味で1995年制作の「キッズボックス」の系譜に連なります。結果的には、1997年から「芸術という権威で護られる」やりかたにシフトする直前の作品となったわけです。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-01.html#20070113
- 記憶では僕がニューヨークにいた2003年、ナディアパークの体験の場の閉鎖にともない、そこにあったさまざまな作家のさまざまな作品が全部撤去されるという通知が来ました。それはかなわないと、撤去される前に本作を引き取ってほしいと所属画廊に打診したところ、捨てる神れば拾う神あり、私の作品と岩井さんの作品に対して引き取り手が現れたとのこと、それが、蒲郡情報ネットワークセンター・生命の海科学館でした。帰国後何度か友人たちと遊びに行きましたが、そのたびに館員のかたがたには心温まる対応をしていただき、とても感謝しております。今回はさらにまた次の移設先にもらわれていくこととなりましたが、もうすっかり古い機械なのにいまだに現役稼働し、そのまま引越しとなったことに、作者としての嬉しさを感じています。
http://aloalo.co.jp/nakazawa/200807/j.html
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