写真の上部が影になっているのと、ピントが甘いので読み辛いと思いますので文章を載せておきます。「上新町と報徳運動」 新町旧森村は、慶長九年(1604)の検地によって、「森町村」と命名された。これより四十三年後の正保四年(1647)に森町村など一万石を支配
本日の散歩は、氏神様である三島神社に月参りを兼ねて花ちゃんと散歩。小高い山の上に鎮座ましますので、良い運動にもなります。太田川を堰で止めなだらかに流下するようにしてます。川岸が県道で、秋葉神社への道でもある。森町の南・西方向を眺める。参拝を
現在も残る秋葉街道には、いまだに多くの秋葉常夜灯が残されています。かつては電灯もなく、地元の人が灯す「ろうそく」が旅人の頼りでしたが、現在は電灯に変わりました。東海道を東から来た人は、掛川の宿から、大池・本郷を経て、森町へ。太田川を渡り川に
本州中央を南北に縦断する道があります。古くは塩の道として、北の日本海の塩と、南は太平洋の遠州灘の塩が、人馬が険しい山道を往来して、塩やコメなどの物資を運搬してきました。この道は秋葉山に詣でるための信仰の道でもありました。遠州相良を起点にして
以前にも玄関の扉の取っ手の部分に、泥を塗りこんで蜂の巣がつくられていたが、昨日、屋根の樋に葉っぱが詰まったので、掃除していたら、柿木の枝にぐるっと巻きつくように蜂の巣がありました。既に穴が沢山開いていて蜂は巣立った後。前回は、四角いお皿の中
本日は寝すぎてしまいました。目覚めたら7時半。朝食をとって支度して家を出るのが8時15分。医院に着くのが8時半を過ぎてしまいます。受付順番は18番でした。診察まで1時間半と言われました。今月からインフエンザの予防注射が開始です。問診票に体温や必要事
子弟の教育についても、遠州でも有数の熱心な土地柄でした。いわゆる寺子屋も幕末頃に十指に余るほどで、遠方より学びに来る人も多かったようです。こうした気風は、県下にどこにもない「屋内隊相場」を他所に先駆けて作ったり、私立農学校、女子技芸学校を作
広沢虎造と村松梢風(小説家)の力がもとになって、昭和9年4月20日、四人の有志によって、石松の墓を作ることになった。予算千円、全額寄付金で、建立地は大洞院と決まったが、当時の住職に「ヤクザ家業なので、門外に作ること」となった。梢風が、墓碑銘を書
明治の終わり頃になると、製茶が盛んになり、製品の売買も業者間の直接取引ばかりでなく仲介業者も生ずるようになり「才取り」と呼ばれたそれらの人々の活動が盛んとなりました。また、家庭内の内職として「棒取り」等の仕事も増加していきました。 茶の製造
日本でお茶が飲まれたのは、記録によれば、聖武天皇の頃に飲んだという記録が残ります。凌雲集という書物(810)にも院裏満茶畑ということが残されています。後鳥羽上皇の御代千光国師(栄西)が、建久年間(1191)に唐から帰国するときに茶種を江南の地から
10/11台風一過、快晴になったため、気温もぐんぐんと上がって、30度を超えた。花ちゃんの散歩をしたが、距離を伸ばしたので自販機でドリンクを買った。往復約3Km。事務所まで往復してきました。明日以降も晴天が続きそう。肌寒い日は暫くいらないね。(笑
10月10日を「テンとう」予防の日としてる向きもあるようだ。実は、転倒・転落・墜落によって命を落とす人の数は年間で約1万人もいて、交通事故による死亡者数の約5000人の倍もあるという。では、怪我や骨折にならない転び方はどうしたら良いのか、上
主に整理をしているのは私のデスク周りと書棚ですが、現在はパソコンデスクがメインのデスクです。古いデスクは昔から使っていましたので、引き出し部分が半分壊れていて、デスクの機能は果たしていません。書類もホリダーに閉じて、何年に何に使ったのか背表
規模としては大きな台風らしいですが、沖合を進行中なので、そのまま東へと直進してほしい事を祈りつつ、外の仕事ができないので、部屋の片づけをしています。色んな書類が沢山ありますので、先ずは仕分けからです。多いのは合唱の楽譜類。静大OBグリー,と
今朝は朝から雨降り。気温も昨日までとはうって代わり、肌寒いように感じる日だ。今朝は、草むしりは辞めて読書だ。冬物衣料を出して夏物と入れ替えだ。長男から積立保険の満期が来るから、保険の証券を探すように言われるが、最近は忘れ物がひどくてどこに仕
石松の大恩人にして育ての親たる森の五郎は、不慮のことから人手にかかって憤死を 遂げたのであった。石松悲憤して、五郎の為に復讐せんことを誓った。次郎長また之を 援け、八方模索の結果、遂に五郎の仇人が甲府にいることを探知し、清水一党大挙して
いよいよ佳境に入ります。「安政四年五月、森の五郎の養子太市は石川村の賭場の近くで、縄張り争いがもとで 堀越の藤左エ門、幡鎌の周太郎、新居の源吉、他一人の子分のために殺害された。」「太市殺しの一件は、単なる賭場のいざこざで、太市の死んだのは喧
村本山雨楼著「遠州侠客伝」より。山梨の巳之助は、森の五郎、堀越の藤左エ門、岩淵の坊主勝を子分に、四角山周吉・大和田之友蔵を子分同様に従えて、寺島の都田源八を凌ぐ遠州の大親分だった。天保・弘化・嘉永・安政にかけて全盛を誇り、巳之助に睨まれたら
山本家の菩提寺洞雲寺での話。「山本庄七の家は、代々庄屋を勤めた家柄でしたが、助治の代に至り、三度も火災に遭い妻も屋敷も飼馬も失って落胆。一子石松を連れて遠州へ落ち延び、やがて再起。何年か後のは帰郷へ舞い戻り、後妻を娶り家の復興に努めそして、
文集「三木の里」3号と4号に記載された大隅信好氏の「石松のふるさと」という文と「私説・森の石松」があります。多分、後援会の時に頂いてきたように思います。 これによれば、筆者は愛知県新城市富岡に行き、酒屋の97歳のお婆さんに会って、石松の弟で
朝6時起床。三倉の黒石の秋葉常夜灯を見に出掛ました。小雨が降っていたので自動車で出ました。城下より北へ行くのは久しぶり。泉陽中学より少し行くと、黒石の秋葉常夜灯が左手にありました。それから北上。トンネルがあります。2車線の立派なトンネルです
本日は夕方自宅から事務所まで歩きました。往復約1時間弱。自宅=幼稚園=体育館=役場=イワシン=事務所=事務所で少しやり残しを片付け。=事務所周辺を歩く=遠江総合高校=大門=蓮華寺入口=体育館裏=幼稚園=梅林院=自宅へ。花ちゃん頑張りました。
事務所の一角に野菜畑を作って、里芋とサツマイモの苗をうえた。本日収穫をしました。葉が伸びて邪魔になるので、イノシシに食べられるのを防ぐためにも、タイミングかなと思います。防護柵も設置していません。たべられてからでは後の祭り。そろそろ山からイ
昨年の年末頃は、体重も68Kg程あったが、現在は58Kgだ。特にダイエットするような必要はない。身長178cmですから、58Kgでは少し痩せすぎだね。振り返ってみれば、コロナ禍以降間食は殆どしなくなった。最近は意図しておやつを食べたり、フルーツを食べるる
お昼のニュースによると、東京証券取引所のコンピュータが何らかの要因で取引停止になっています。ハッカーによるものか詳細は明らかになっていませんが本日の出来高はなしということです。原因の究明と対応をしていますが、今日中に復帰するのかどうかもはっ
新聞を読むと、値上げの記事が出ています。菅主相は携帯の値下げをすると発表。携帯の値下げが実現せぬうちに、ビール(上がり下がり)、たばこ、新聞代などの値上げが待っています。NHKの受信料は値下げになります。新聞社は自分の値上げには触れずに、新聞
秋葉常夜灯および道標(道しるべ)など、秋葉街道に沿って残されたり、何故ここに常夜灯があるの?と思われるものまで幾つかありますね。城下上にある秋葉常夜灯です。常夜灯について説明書き蓮華寺門前にある秋葉常夜灯何故ここにあるのか分かりませんが、か
遠州灘で穫れた塩を、かつて海のない信濃の國まで、運んだものです。現代のように道路や交運搬や通手段が整っていない時代には、文化の交流や商品の交易のため、また信仰の道として辿られた。遠州から信州への塩の道は幾つかのルートがあり、それぞれのルート
昨夜は少し冷えましたね。富士山頂の気温はマイナス1.8度だとか。夜間はもっと下がったという。平年より3日早く、昨年よりも24日早かった。これからは山頂が雪の富士山だ。本日の散歩。八形山 蓮華寺です。夕方行きましたので、写真も明るく取れました