大震災から6年。ようやく浪江町の我が家にも除染の手が回り、合わせて母屋も解体されました。大震災当日、義父は確かに「この家は解体するしかない」と言いました。大黒柱に深刻なダメージがあり、修復は不可能との見立てでした。更地になった場所を見ると、
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