根本的な問題なのだが、「労働」を何の為と捉えるかの話になる。儒教では「額に汗をかく」行為は「下」の行為であり、「上」は其れを「統べる」事が秩序となる。基督でもエデンを追われた贖罪が「労働」だ。つまり「労働」は「階級」の中での序列の表れである
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