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開催終了「国民参加の森林(もり)づくり」シンポジウム 講演

詳細

2015年08月09日 10:14 更新

池澤さんが京都府宇治市でおこなわれるシンポジウムで基調講演をされます。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11890504.html

「ともに育むモデルフォレスト」をテーマに、京都で「国民参加の森林(もり)づくり」シンポジウムを開きます。


9月27日[日]午後1時30分〜5時、京都府宇治市の市文化センター。
作家の池澤夏樹さんが「森のめぐみ」と題し基調講演。

カナダのシルヴァン・ラベ氏が、北米一高い木造ビル計画など森林再生と木材利用について事例報告。
森本幸裕・京都大学名誉教授の進行で「生物多様性が主流の明日へ」をテーマに3氏がパネル討論

無料。定員350人。受け付けは8月3日〜9月10日

◇申し込み 
はがき、FAX、メール、電話で受付。

(1)氏名(2)年齢(3)住所(4)電話(5)参加希望人数(6)メールアドレス(あれば)を明記して申し込む。、

はがきのあて先:〒602・8570京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町
         京都府モデルフォレスト・全国育樹祭推進課

FAX:075・414・5007

メール:modelforest@pref.kyoto.lg.jp

電話の場合は同課(075・414・5013)。

(国土緑化推進機構、京都府、京都モデルフォレスト協会、朝日新聞社、森林文化協会主催)

コメント(2)

  • [1] mixiユーザー

    2015年10月02日 12:01

    池澤さんの基調講演を聴いてきました。その内容です。
    例によって録音・撮影不可だったので、お話をメモして書き留めたものから書き起こしていますので、聴き漏れや前後がうまくつながらない箇所もあります。ご了承ください。


    「森のめぐみ」

    今回は森がテーマですが、僕は名前に樹木の樹がついているので、喜んで馳せ参じました(笑)。

    先ほど、シンポジウムのパネリストや関係者の方々と食事をしたんですけど、山や森など山林に関する漢字の姓のかたが19名中7名、6名が田中、など農業に関する漢字がある姓でした。

    木というものは成長がゆっくりで、今の経済のペースとは合わない、なじみにくいと思っています。
    木の利用ははるか古代に始まったが、均一化され、使いやすくなった。
    「日本文学全集」の編集をし、「古事記」の現代語訳もおこなったが、その中で大国主命が兄たちと旅をしている途中、兄たちに嫌われ、殺されかける話がある。
    その中で大木にくさびを打ち込んで木を切り倒そうとするシーンが登場する。
    大工道具といえばのこぎりやカンナを思い浮かべるが、元々はくさびを使って切っていたのだ。
    杉、という名前の語源はまっすぐの「すぐ」から来ていると言われている。割安く、板にしやすい木だ。
    しかし近代になると「修正剤」が出てくる。接着剤で固めるベニヤ板などがそうである。
    こうして自然素材が少しずつ工業化されてきた。
    僕はいま札幌に住んでいますが、北海道ではペレットストーブを使います(ペレットはおがくず、カンナくずなどの製材の副産物を圧縮した固形燃料)。

    木と人間とは成長速度が違います。
    見方を変えれば、人間社会のほうが成長が早すぎるのではないか。
    大航海時代、コロンブス、マゼランによって、世界が有限であることが分かった。地球上で、2万キロ以上遠いところはない。

    1950年代、空気は無限だと考えられていた。しかしさまざまな公害を生み、海も有限であるということがわかった。有害物質が食物連鎖で凝縮され、戻ってきてしまう現象が起きる。

    「無限」というのは、本来は数学の概念です。
    物理学にはその概念はない。
    そこに経済成長と言う無限の概念を当てはめてしまっている。
    そして行き詰まると、石油に代わるシェールガス、のような別のものを探してくる。
    「無限」の世界であざむこうとしたのが原子力だった。
    高速増殖炉、などというものは、有限である現実世界に無限を当てはめようとしたものではないかと僕は思っている。

    もうすこし経済のペースを落としたらどうか。
    連成栽培や単一作物の収穫ではなく、植物のペースで考えてはどうか。

    樹木は手間はかかるが再生可能。
    すべての基礎は植物の光合成である。
    その速度が動物の生き方も決めると思う。
    ウサギが植物を食べ、そのウサギをキツネが食べる。キツネを人間が殺すとウサギが増えすぎて草がなくなる、ということが起きる。

    北海道ではエゾシカが増えすぎて困っている現実がある。
    列車に乗っていると“シカと衝突しましたので、しばらくお待ち下さい”というアナウンスがときどき流れる。
    最近はヒグマの衝突も増えた。線路のそばにいると鹿肉が食べられると分かって、ヒグマが線路のそばにやってくるのだ。

    もともとオオカミを全部殺したため、生態系が狂ってしまった。
    明治になって、シカを撃って鹿肉を缶詰にして売る、エサが減ったオオカミが牧場で馬を襲う、そのためにオオカミを殺して絶滅・・。
    人間が手を出すと、自然のサイクルが崩れる。
    動物たちは人間を恨んでいるだろうと思います。
    植物からすれば、人間自体がガン細胞みたいなもの。

    日本列島の人口が倍になるのに3千年かかっていた。
    昔は人間は若くして死んだり、食糧の供給が不十分で、天候不良があると餓死していた。
    だが、人口が増えるにつれ、ひとりひとりの欲望が増えた。
    そして現在、いわゆる途上国は「そんなに人を増やしてどうする」と言われ、先進国は「そんなにエネルギーを使ってどうする」と言われ、お互い非難し合っている。

    自分たちの欲望を刺激することで成長率を高める。
    ある時期から一個の人間である以前に、ひとは「消費者」となった。
    胎児の頃からダイレクトメールが来る、死ぬとお墓の新しいものを買ってもらい、古いものを捨てないと景気は回らない。
    お説教めいてでなく、植物を見習うように、というのはむずかしい。(この項つづく)
  • [2] mixiユーザー

    2015年10月02日 12:02

    「講演 森のめぐみ」(続き)

    北海道の樹木図鑑という本があります。
    これは出来上がるまでに実に28年もかかっている。なぜか。
    一本の木につき木の細部、樹皮、葉の形、花、実などの図が詳細に描かれている。
    この本の出版は資金が潤沢だったらしく、印刷にコロタイプ(高級写真印刷法の一種)を使っているが、こういう年月が、木を相手にする仕事の本来のペースでしょう。

    森が管理され、手入れされ、そうしないと維持できないというのはどうなのだろう。
    杉林のような単一林は手入れしやすいが、問題はないのか。
    長期的には、自然に任せるのではなく、手を加え、しかし急ぎ過ぎないようにしないことが大事。

    秋田から青森へ林道を通す計画があった時、青森の漁師が反対した。
    なぜ林道に? と思うが、山が荒れれば海も荒れる、と彼らは言う。
    山から流れる水が海を豊かにする。岩手のカキ養殖業の畠山重篤さんが言った「森は海の恋人」という名言がある。

    生物圏全体を見る、それがエコロジーだと思う。
    僕は石川県白峰村に25年ぐらい通っているが、木の面白い話を聞いた。
    ここは田んぼがない。しかし、米と無縁でもずいぶん豊かな暮らしをしていた。
    村で有名なガンコじいさんがいて、その人の山がとても綺麗なのだが、聞くと「ひんぱんに山に行って手入れをする」からだそうだ。
    天然のマイタケが獲れるが、これをそのまま火にあぶって食べると、とても美味しい。

    国民ひとりひとりに木を一本与えることを考えている。
    財産ではなく、養子縁組、義兄弟のようなものとして。
    「あなたの木は、どこそこの山の、あそこにあるナラの木です」と通知が来る。
    「一生に一度、この木に会いに行ってください」と案内をもらう。その山にはガイドがいる。
    会いに行った人は植物としての自分がいたらこうなのか、と対面する。
    都会から木に会いに行って、元気をもらって帰って来る。
    僕も個人的な「自分の木」があって、行ってきている。

    気持ちをペースダウンして、木や山と親しくして、落ち着いて生きていけないものかと考えています。
    (9月27日・京都府宇治市・宇治市文化センター)
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