1983年ベルリンよりNYCへ戻ったステュワートは、ドミナトリックスをジョー・ウェバーのレーベル、アップロアのNMSホンチョからリリースする為に制作を開始する。ケン・ロッキー(元PIL/元カウボーイ・インターナショナル)と共にアイバン・アイバンを共同プロディースに迎えユニーク・スタジオにてレコーディングは行われた。そうして完成した『ドミナトリックス・スリープス・トゥナイト』は、アップロア/ストリートワイズより12インチ盤としてリリースされる。リリース後、数多くのDJがプレイし、ダンスクラシックに。偶然スタジオでこの曲をアーサー・ベーカーが耳にしたことで、急遽DJ レッド・アラートがスクラッチミックスを担当した7インチがWEAからリリースされる。ダウンタウンフィルム作家、ベス・Bによって制作されたミュージックビデオは、あまりに過激なためMTVから締め出されるが現代美術館MOMAのパーマネントコレクションとなる。1996年以来「スリープス・トゥナイト」は、DJ カール・コックス、DJ ヘル、ジュニア・カルティエ そして、パフ・ダディ&メイス("Do It Again" on Mase's "Double Trouble")などでサンプリングされた。また、トミーボーイの 『パーフェクトビート Vol.2』やアンディー・ウェザーオールが選曲した『ナイン・オクロック・ドロップ』といったコンピレーションにも収録される。2003年には、ブラック・ストロボのリミックスを加えたオリジナル12インチがDJ ヘルのレーベル、ジゴロより再発される。またミュージックビデオも『ジゴロ 150th スペシャル』に収録された。彼は今、未発表トラックを含むドミナトリックスのニューアルバムを企画中である。『ドミナトリックス・スリープス・トゥナイト』の成功後、より新しい音楽を作る為に、マイケル、シモカワと共にアリーナ・セックス・デス (後のDeath Star Crew/Death Comet Crew)を結成する。1984年にはクラブ・ピラミッドで即興とヘヴィ−なサウンドを基本としたライブを披露する。二回目のピラミッドでのギグには、新しくDJハイプリーストが参加。ケン・ロッキーと共にユニーク・スタジオでレコーディングした『アット・ザ・マーブルバー』がUKのベガーズ・バンクエットよりリリースされライブではフェイズ2とラメルジーが参加する。プロデューサーのジェレミー・トーマス(『ラストエンペラー』)から連絡を受け伝説の映画監督、ニコラス・ローグ(代表作にミック・ジャガー主演、『パフォーマンス、デビット・ボウイ主演、『地球に落ちて来た男』』がDCCの「アメリカ」を次の映画である『インシグニフィケンス、(邦題/マリリンとアインシュタイン)』に提供する。2003年、ニッティング・ファクトリーで行われたトラブルマン・アンリミテッドの主催するCMJショーケース出演の為に、伝説的MCであるラメルジーとショックデル参加のDCCを再結成する。さらに、新しいトラックを制作すべくレコーディングも行い新しいトラックはもうすぐ完成するだろう。
DCC以降スチュートは、1988年から1992年迄パートナーのウイリアム・バーグとのプロジェクト、ハイチ/ブードゥー・クラブミュージックのブードゥーイストを行う。幸運にも『羊たちの沈黙』でも有名なフィルムメーカーのジョナサン・デミにピックアップされて『Married To The Mob』(邦題/愛されちゃって、マフィア)のサントラに採用されデボラ・ハリーの曲とともに7インチシングルとして発売される。1992年にはワーロックレコードより12インチEP、東芝EMIよりレーザーディスク『ビデオブードゥー』が発売される。1988年同時期にDCCのメンバーであったシンイチ・シモカワとロック、ダーク・アンビエント的なグループ、ブラックレインを結成。このミスフィッツとノイバウテンを融合させたような4ピースバンドはデモ制作、自主制作カセット発表、CBGBでのギグを行う。トンプキンス公園の暴動とCスクアットの記念日であり最後のGG・アレンのショーでもあったライブをイーストヴィレッジのガス・ステーションにて行う。1993年、第2期ブラックレインは、サイバーパンク作家ウイリアム・ギブソンの10周年記念オーディオブック『ニューロマンサー』のサウンドトラックをU2と担当、また1985年にはロバート・ロンゴ監督の『JM』(ソニー/コロンビア、キアヌ・リーブス主演) にサウンドトラックを提供する。1997〜2001年にはデビット・ボウイのギタリストであったチャック・ハマーとニューヨーク・タイムスTVのサウンドトラック制作に携り教育番組の『アドレナリン・ラッシュ・アワー』にビートと楽曲を提供。チームは6シリーズ、最終的には80の番組を担当する。2001年のヒット番組の『トラウマ: ライフインER』がエミーアワードにノミネイトされる。他にニューヨーク・タイムスの『サイエンス・タイムス』、ディスカバリーの『オン・ザ・インサイド』、ニューズウィークTVアジア向け広告、ESPNの『ザ・シーズン 』、 NYT/グラナダTVの『ワールド・バースデイ』等々。2001年にはNYダウンタウンのアンダーグラウンド電子音楽アーティストを集めたハーベスト・ワークスのコンピレーション『ナウ・ゼン・アフター』のプロデュースを担当する。2003年にはトラブルマン・アンリミテッドよりEP『DCCアメリカ』同レーベルグループ、タッセルの「ドント・ストップ」のリミックスを担当、『ドミナトリックス・スリープス・トゥナイト』をジゴロよりリリースする。2002〜2003年にはミュンヘンレーベル、ゴマより発売のラメルジーのアルバム『バイコニカルズ』のプロデュース担当。このアルバムはUKの『ワイヤーマガジン』、ロシアの『ユー』、スウェーデンの『セックス』他数多くのレビューにて絶賛される。