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開催終了第27回北京日本人学術交流会

詳細

2010年07月24日 12:17 更新

みなさん
こんにちは。
いつもお世話になっています。
山口直樹@学術交流会です。

北京の大学等は、休みに入っていますが、第27回北京日本人学術交流会のお知らせです。
近代日本の人類学にとって重要な役割をはたした鳥居龍蔵という人類学者がいました。
この鳥居龍蔵は、とりわけ中国とも深いかかわりをもった人類学者でした。
現在は存在しませんが、北京の燕京大学で教えていたこともあるこの人類学者についてその子孫の鳥居貞義氏に報告いただきます。北京の日本人などにとっても貴重な機会です。お時間と関心のある方はご参加くだされば、幸いです。
資料などの用意の都合から、7月27日深夜までに連絡係の坂本(green.forest1023@gmail.com)まで参加希望のメールをお願いします。

日時:2010年7月30日(金曜)午後5時から90分ぐらいあと質疑応答と食事会など
場所;北京大学小西門付近の広東料理店「何賢記」の一室
言語;日本語
参加費;10元
題目;人類学者、鳥居龍蔵と中国―燕京大学時代の活動を中心にー
報告要旨;鳥居龍蔵は、1870年に徳島県で生まれた。幼いころから独学で学んでいたが、『人類学雑誌』の購読者になったことで東京帝国大学の人類学教室とかかわりをもつようになる。1897年には、標本整理係として東京帝国大学人類学教室の坪井正五郎のところに出入りし、週一回の人類学講習会を催すようになる。
 さらに鳥居龍蔵は、1895年の遼東半島の調査をきっかけに台湾、中国西南部、シベリア、沖縄などへの調査を行うようになる。
1937年7月、盧溝橋事変が起こり、日中戦争がはじまった。当時北平にあった国立大学や文化機関等は、北平が日本軍に統治される前に、皆次々と中国の奥地へ移転したが、幾つかの私立大学は北平に残っていた。米国のキリスト教系の大学であった燕京大学(現在は北京大学のキャンパスになっている)は、校長が米国人のスチュアートであった為、日本当局が干渉し得ない孤島のような存在となり、校内では抗日の感情が高まっていた。日本当局は情報収集と大学を統治したい為、日本人教師を招聘するように再三大学側に要求し、具体的な人物まで紹介して来た。大学側はその度ごとに拒絶していたが、その対策として、自分たちの判断で、鳥居龍蔵を客座教授として迎えることを決めた。その時以来、鳥居龍三は日本軍当局と興亜院等からマークされることになる。
1945年に日本の敗戦により燕京大学は再開され、鳥居龍蔵は再び客座教授になった。結局、鳥居は、中華人民共和国が成立する後の1951年まで燕京大学にとどまっていたことになる。
 今回の報告では、鳥居龍蔵の基本的な業績と北京にあった燕京大学とのかかわりを中心に報告を行いたい。

連絡先
北京日本人学術交流会代表:山口直樹(ngodzilla21@yahoo.co.jp)
http://j.peopledaily.com.cn/96507/97399/6683162.html

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  • 2010年07月30日 (金)
  • 海外 北京
  • 2010年07月27日 (火) 締切
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参加者
1人